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本当に努力は才能を凌駕できるのか?
“偉大なる凡人”小笠原道大という謎。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2011/01/19 10:30

本当に努力は才能を凌駕できるのか?“偉大なる凡人”小笠原道大という謎。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

ここ10年間、ほとんど3割30本塁打を記録している小笠原。どの打順に入ってもバントが少ないことでも有名

 わからない選手だ。

 巨人の小笠原道大のことである。

 私事だが、私は小笠原と同い年だ。小笠原も私も千葉県出身。しかも同時期に県内の高校で野球部に所属していた。

 だが私も含め、私の周りの野球仲間も当時の小笠原を記憶している人に遭遇したことがない。

 小笠原の母校である暁星国際は、ちょうど小笠原の年代から野球に力を入れ始め、彼らが2年生のとき、全国高校野球選手権大会の千葉大会で準優勝を果たしている。ちょっとした番狂わせだった。

 だが、のちに日産自動車を経由してヤクルトに入団したエースの北川哲也以外の記憶は、まったくといっていいほどない。

日本ハムに入団した時も薄かった存在感。

 そのころの県内では、東京学館浦安の石井一久(西武)が知名度では群を抜いていた。石井は前評判通り、高校卒業と同時にドラフト1位でヤクルトに入団した。

 それ以外にも県内からは、我孫子の荒井修光(早大-日本ハム)、船橋法典の金子貴博(日本ハム)、習志野の花島寛己(千葉ロッテ)と、何人もの同級生がプロの門を叩いた。

 当然高校時代から彼らの名前ぐらいは知っていた。

 プロ野球選手になる人というのは、つまり、そういうものだと思っていた。同時期に同地域で野球をやっていれば最低限名前ぐらいは聞こえてくるものだ、と。

 だから小笠原がNTT関東で5年間プレーしてから、ドラフト3位で日本ハムに入った時もほとんど気にしなかった。

 プロ入り3年目あたりでブレイクし始めた頃、出身高校の「暁星国際」という表記を見てもしばらくは誤植だと思っていたぐらいだ。北川以外、プロに行くような選手はいなかったはずだが、と。ひょっとしたら千葉県以外にも同名の高校があるのかもしれないとまで考えたくらいだ。

【次ページ】 高校の監督が獲得をためらった程の平凡な選手。

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小笠原道大
読売ジャイアンツ

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