ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
7年ぶりに東北で男子ツアーが開催。
復興へ、ゴルフが福島の先駆けに。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYUTAKA/AFLO SPORTS
posted2014/03/20 16:30
2011年のダイヤモンドカップでは、石川遼、薗田峻輔らが復興支援の募金活動を行なった。
トーナメント化に歩みだした3週間後のことだった。
話を紐解くと、この大会は震災後に降ってわいた話ではない。
福島県プロゴルフ会会長の橋本日都は、1995年にスタートしたプロアマ混合の地方トーナメント、福島オープンを2006年に制したプロゴルファー。ここ数年は大会の実行委員長を務めてきた。
「いつかはもっと大きな試合にしたい」という夢を、かねてから胸に秘めていた橋本。2011年2月、毎年都内で開催されるゴルフフェア(ゴルフ関連企業、業界関係者のコンベンション)に足を運び、プロトーナメントの運営会社の関係者と名刺を交換していた。長年の夢を、まさに現実的な道へと進めようとしていたのである。
しかしそれから3週間後のあの日、事態は急変した。
福島県須賀川市にある橋本の自宅は激しい揺れを受け、半壊した。命こそ無事だったが、外に出れば、2階建ての屋根瓦が剥がれ落ちた我が家の姿があった。
「本当に無残でした。今も写真に収めてあります」
普段のレッスン業務の傍ら、職場のひとつだった郡山市内のゴルフショップは、夏まで営業の見通しがつかなくなった。
いまも10以上のコースが営業停止を強いられている。
福島県はもともと、首都圏からの集客も多いゴルフの盛んな土地である。2010年に同県のゴルフ連盟に加盟していたコース49。非加盟コースも含めると60を超えていた。しかし震災で甚大な被害をうけ、今も営業停止を強いられているコースは10以上ある。
試合開催場であるグランディ那須白河ゴルフクラブは、2007年まで女子ツアー・リゾートトラストレディスの舞台にもなった名門。震災発生直後は、リゾート内の宿泊施設で被災者を受け入れるなど、避難所の役割も担った。
しかしコース内外には、無数の地割れが発生。芝生の下に眠る土が動き、グリーンは上下に激しいうねりを作った。ゴルフ場にとって致命的だったのが、芝を養生するために欠かせない散水設備が破損したことだった。
散水用のエンジンやポンプ自体は、3月末に愛知県内の業者に発注することができた。しかし、配送業者に「福島には運べない」と搬入を拒否されたのである。原発事故の影響が懸念されたのだ。結局、栃木県内のゴルフ場まで配送してもらい、スタッフたちが車で持ち込んだ。