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北米チームがアイスダンス金銀制覇。
勝利の理由は「ロシアのコーチ」。 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byAP/AFLO

posted2014/02/18 11:55

北米チームがアイスダンス金銀制覇。勝利の理由は「ロシアのコーチ」。<Number Web> photograph by AP/AFLO

左から銀メダルのテッサ・ヴァーチュー&スコット・モイア(カナダ)、金メダルのメリル・デイビス&チャーリー・ホワイト(米国)、エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフ(ロシア)。米国初のアイスダンス金メダルにして世界歴代最高得点での勝利だった。

北米アイスダンス王国を築いたロシア人コーチ達。

 モスクワ出身のマリナ・ズエヴァは、かつてソ連を代表するアイスダンサーで、引退後は振付師、コーチに転身した。五輪ペアチャンピオンのゴルディワ&グリンコフの振付を手掛けてきたことで名前が知られ、日本選手では中野友加里、村上佳菜子、小塚崇彦などの振付も担当したこともある。

 1991年にロシアを離れたこのズエヴァと、2012年春まで共同コーチをしていたイゴール・シェピルバンドがこの2組を育てた。

 特に今の米国のアイスダンスはシェピルバンドが築いたと言っても過言ではなく、1996年以降の全米アイスダンスチャンピオンは、すべて彼の生徒である。

「ロシアでは子供の頃からアイスダンスをやらせるのは、普通だった。でも私がアメリカに来た当時は、男の子がアイスダンスなんてやるものではない、という意識が強かったんですよ。北米のアイスダンサーが国際試合でメダルを取るようになってきてから、やりたいという子供も増えて行ったのです」

国外流出していったロシアの知識と伝統。

 そう語るシェピルバンドは、初代五輪チャンピオンのリュドミラ・パホモワに育てられたアイスダンサーだった。

 パホモワが白血病で亡くなった後、彼はプロに転向し、パホモワの親友だったタチアナ・タラソワがプロデュースするアイスショーに参加。ソ連崩壊1年前の1990年にツアーでニューヨークに来たときに、他のスケーター仲間数人と一緒に亡命をした。

 そして引き取り手を申し出たデトロイト・スケーティングクラブで駆け出しのコーチとして、北米の子供たちを教え始めたのである。

 デイビス&ホワイト、ヴァーチュー&モイアとも、長年彼が指導して育てあげてきた選手たちだった。シェピルバンドが基礎技術を与え、ズエヴァが芸術的完成作品にしたと言っても良い。

 今の北米のアイスダンスは、90年代に西側に移ってきたコーチたちによってもたらされた、正統派のロシアのアイスダンスが継承されたものなのである。

【次ページ】 20年あまりかけて実った教育。

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