オリンピックへの道BACK NUMBER
SP16位で笑顔を失った浅田真央。
滑走前、彼女に見えていたものとは。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2014/02/20 11:15
演技を終え、厳しい表情で唇をかむ浅田真央。シニア転向後に体験したことのない16位という順位。浅田に何が起こったのだろうか……。
スタートのポジションにつく前、少し上を見上げた。あのとき、何を観たのだろうか。何を思っていたのだろうか。
2月19日、フィギュアスケート女子ショートプログラム。
最終滑走の浅田真央は、滑り終えたあと、うつむいた。観客席に向けての礼でも、笑顔を浮かべることはなかった。
冒頭のトリプルアクセルで転倒し、トリプルフリップは回転不足の判定。3つ目のジャンプとして予定していたトリプルループ-ダブルループのコンビネーションジャンプも成功させることはできなかった。
結果は、55.51点の16位。自己ベストを20点以上下回った得点、シニアに転向後のグランプリシリーズ、世界選手権そしてオリンピックでもなかった順位。
「自分の思っているような演技が全然できませんでした」
「最初のトリプルアクセルから、『いつもと違う』と思ってしまいました」
「リンクに入ってからは落ち着いていたんですけど、滑り出してちょっと違うな、と」
試合後の取材では、沈痛な言葉が続いた。
2度目の五輪が、1度目より簡単なわけではない。
何が「いつもと違う」と感じる要因となったのか。
自身、思いもよらない演技に終わったショックも大きかったろう。しかも終わったばかりだ。簡単に分析できるわけもない。
その中にあって、浅田は言った。
「(緊張は)団体戦のときから感じていて、自分の中で克服していくつもりでしたが、できませんでした」
その内容や度合いはどうあれ、緊張に苛まれていたことをうかがわせた。
バンクーバーに続く2度目のオリンピックである。一度経験している大舞台だ。ただし、経験しているから対処しやすいというわけでもない。大舞台であることを知ってしまったからこそ生まれる難しさもある。例えばフリースタイルスキーの上村愛子は、初めて出場した地元長野での大会よりも、2度目のソルトレイクシティ五輪でプレッシャーに苦しんだと言ったことがある。一度知ったことで、大会の大きさ、重みを把握する。把握するからこそ、かまえてしまう。