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渡部暁斗、20年の雌伏を破る銀。
複合界の悲願はいかに実現したか。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2014/02/13 11:30

渡部暁斗、20年の雌伏を破る銀。複合界の悲願はいかに実現したか。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

金メダルのエリック・フレンツェルに最後まで肉薄し、銀メダルを獲得した渡部暁斗。リレハンメル以来20年ぶりのメダル獲得は、ノルディック界の悲願だった。

認知してもらうには、五輪での活躍しかなかった。

 渡部は、ワールドカップでは世界上位の一人として、安定した活躍を続けてきた。総合成績を見てもそれは明らかだ。だが、それに対する評価はどうか。

 認知してもらうには、耳を傾けてもらうには、オリンピックでの活躍しかないという思いが、そんな言葉につながったのだ。

 そしてそのメダルは、日本の複合にとって、オリンピックで20年ぶりという大きな価値のあるものだった。

 '90年代に荻原健司を筆頭に、日本は世界を席巻した。あまりの強さに対し、日本を狙い打ちしたとしか言いようのない度重なるルール改正が行なわれた。結果、ジャンプの強さで活躍した日本のアドバンテージは失われていき、下位に沈んでいくことになった。

 その変化に対応すべく、複合全体をあげて強化に取り組んできた。ジャンプをおろそかにしない一方で、苦手のクロスカントリーを鍛え直した。

 少ない予算にあって、費用をなんとか工面して遠征を繰り返す。

 長期的な育成を目的に、十代の若い選手を日本代表に抜擢してきた。渡部もその一人であり、高校2年生でトリノ五輪に出場している。

47位、38位、18位、11位、2位、3位。順位が示す渡部の歩み。

 もちろん渡部自身の努力も見逃すわけにはいかない。コーチが認めるほどの探究心で、技術を少しずつ磨いてきた。

 そういう性格だから、若いうちから国際舞台を踏むことで、世界との差を知り、少しずつ距離を縮めてきた。トリノ五輪の個人スプリントは19位、バンクーバーでは、ノーマルヒルで21位、ラージヒルで9位。

 オリンピック以上に、ワールドカップの成績が象徴的かもしれない。総合成績は、'05-'06年シーズンが47位。以降、38位、18位、11位、2位、そして'12-'13年シーズンは3位。ときにつまずくことがあったとしても、この数字が確実に積み上げてきた渡部の歩みを示している。

 今大会3種目に出場する渡部は、18日に2つ目のラージヒルを控えている。

「金メダルを取るためには、エリックより(後半のクロスカントリーで)30秒くらい前で出ることじゃないでしょうか」

 と言って笑うと、続けた。

「いつも通り、勝ちに行きます」

 日本のノルディック・複合界が総力をあげて、もう一度世界のトップを目指して重ねてきた努力、そして自身の努力が結びついた意義ある銀メダルとともに、渡部はソチ五輪で、最高のスタートを切った。

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