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ベッテルの相棒を射止めた24歳。
レッドブルの決断は“協調性重視”。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byREUTERS/AFLO
posted2013/09/08 08:01
レッドブルのドライバーという、出世への特等席を手にしたダニエル・リチャルド。24歳、大きく羽ばたくには頃合だ。
ベッテルでさえトロロッソ時代は評価が低かった。
F1デビュー戦となった2007年のアメリカGPで、いきなり入賞してF1史上最年少入賞記録を更新して注目を集めたベッテルも、その後トロロッソに移籍して、なかなか思うような成績が出ないと、レッドブル内での評価も下がっていったという。その翌年、イタリアGPで初優勝していなかったら、ベッテルの未来はどうなっていたかわからない。
さらに小林可夢偉もGP2シリーズでは車体性能とチームの戦略に恵まれずに厳しい戦いが強いられたが、そうした原因があったことは当時所属していたトヨタのF1チームの首脳陣たちですら、なかなか把握できなかった。そのため、日本チームに所属する日本人でありながら、F1へステップアップするチャンスはなかなか与えられなかった。もしも'09年の日本GPでレギュラードライバーが事故を起こさず、ブラジルGPに代役で出場していなかったら、可夢偉のその後のF1人生はなかったのである。
リチャルドは第二のヒル、ベッテルになれるか?
だからといって、リチャルドが第二のヒル、未来のベッテルになるというつもりはない。ただひとつ言えることは、彼の評価をいま下す必要はなく、来年レッドブルのマシンでレースを走ってからでも遅くはないということ。そして、レッドブルのマシンに乗った彼の走りを、私はいまから3年前にコースサイドで見たことがある。
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あれは'10年シーズンが終了した最終戦アブダビGPの2日後から、同じヤス・マリーナ・サーキットで行なわれた若手ドライバーテストだった。参加していたドライバーの中には、セルジオ・ペレス、ポール・ディ・レスタ、パストール・マルドナド、ジャン=エリック・ベルニュ、エステバン・グティエレス、ジュール・ビアンキといったのちにF1ドライバーになった者たちが顔を揃えていた。その中で、リチャルドは2日間とも2番手以下に大きく水をあけるトップタイムを獲得しただけでなく、テスト2日目には4日前にベッテルが記録したポールポジションを上回るタイムを叩き出したのである。
テスト直後、私は「いまいる先輩オーストラリア人(ウェバー)の代わりに、いつの日か、このチームでレースに出られたらいいですね」と尋ねたことがある。リチャルドは何も答えず、ただニッコリと笑っていた。まるで3年後にこの日が来ることを知っていたかのように……。