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ウイリアムズ600戦記念に集結した、
歴代王者と闘将の胸に去来した思い。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2013/08/26 10:30
後列左からマンセル、プロスト、ロズベルグ、現在ウイリアムズのドライバーを務めるボッタス、マルドナドと続き、一番右にはヒルの姿が見える。前列中央の御大フランク・ウイリアムズの両脇には、バリチェロ(左)とバトン(右)。
それは、いままで目にしたことがない不思議な光景だった。今年6月に開催されたイギリスGPで、ウイリアムズの600戦参戦を祝うパーティでのことだ。
予選後、ウイリアムズのモーターホームを訪れると、そこには往年の名ドライバーが集結していた。アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、デーモン・ヒル――いずれもウイリアムズでチャンピオンに輝いたドライバーたちである。
記録ずくめのシーズンを送りながらF1を去ったマンセル。
だが、彼らはタイトルを手にした後、皆ウイリアムズを去った経験を持つ。最初にウイリアムズと袂を分かったのはマンセルだ。
1992年に当時歴代最多となる年間14回のポールポジションと9勝を挙げて、初めて王座を手にしたマンセル。しかし、チームはマンセルと契約を延長する前に、一時F1を離れていたプロストと翌年の契約を締結する。プライドを傷つけられたマンセルは、チーム側の制止を振り切って自ら記者会見を開き、F1からの引退を表明。翌年、アメリカのCARTシリーズに転向した。
そのマンセルが、その日、ウイリアムズのモーターホームを訪れただけでなく、フランク・ウイリアムズの前にひざまずいて、柔和な顔で長い間、話し込んでいたのである。それはまるで、親父と喧嘩をして家出した少年が、何年かぶりに我が家に帰ってきて、過去のことは水に流して杯を酌み交わしているかのようだった。
セナのチーム入り前に急きょ引退を発表したプロスト。
マンセルと入れ替わるように'93年にウイリアムズ入りしたプロストも、半ばウイリアムズから追い出されるようにして、F1からの引退を発表したドライバーである。
'93年シーズンを通して、F1の政治的な戦いに疲弊したプロストは、その年限りでF1からの引退を決意していた。当初はタイトルを獲得した後に発表するつもりだったが、ウイリアムズがセナとの契約を済ませ、それをセナが一部のメディアにリークしたことから、プロストは第14戦ポルトガルGPのレース前に急きょ会見を開いて、引退を発表。チャンピオンとしての矜持を守った。