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ベッテルの相棒を射止めた24歳。
レッドブルの決断は“協調性重視”。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byREUTERS/AFLO
posted2013/09/08 08:01
レッドブルのドライバーという、出世への特等席を手にしたダニエル・リチャルド。24歳、大きく羽ばたくには頃合だ。
レッドブルの2014年のドライバーラインアップがついに決定した。マーク・ウェバーの引退によって空く、王者セバスチャン・ベッテルのチームメートとしてのシートを射止めたのは、24歳のオーストラリア人、ダニエル・リチャルドだった。
3年連続でダブルタイトルを獲得し、今シーズンもここまでドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権をリードしているレッドブル。最強チームの2つ目の座は、F1ドライバーにとってプラチナシートとも言える存在である。
'12年にロータスからF1に復帰したキミ・ライコネンが、2度目のタイトルを目指すためにレッドブル移籍を模索していたのは周知の事実である。さらに7月にはフェルナンド・アロンソのマネージャーがレッドブルのチーム代表と話し合いの場を設けていたことも明らかになったほどだ。
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しかし、レッドブルが選んだのは、'07年の王者ライコネンでも、'05年と'06年に2冠を達成したアロンソでもなく、タイトル獲得はおろか、F1で一度も優勝したことがないリチャルドだった。今回のレッドブルの決定を受けて、思い出されるのが1993年へ向けたウイリアムズのシート争いだった。
ピケとマンセルの不仲に懲りたウイリアムズ。
アクティブサスペンションによって、'92年シーズンを席巻したウイリアムズだったが、シーズン中盤にタイトルを獲得したナイジェル・マンセルが、'93年へ向けた交渉でチームと衝突。ウイリアムズはすでに'93年からアラン・プロストを起用することを決定していたものの、もう一つのシートがなかなか決められずにいた。アイルトン・セナが「タダでもいいから、乗りたい」とウイリアムズに揺さぶりをかけたのも、ちょうどそのころである。
当時のセナとプロストの関係は、'89年の日本GPで接触して以降、悪化したままで、口もきかないほど。たとえ優秀なドライバーを2人そろえても、チーム内での関係が悪化すれば、足の引っ張り合いになりかねない。
ウイリアムズは'80年代にも、最強だったホンダからエンジンを供給されて黄金時代を築いていたが、当時所属していたナイジェル・マンセルとネルソン・ピケの不仲が響いて、チームとしての効率的な戦いを行なうことができなかった苦い経験があった。そのとき唯一獲得した'87年のドライバーズタイトルも、ピケを逆転するには残り2戦を連勝するしかなかったマンセルが、日本GPの予選で過激に攻めた末にクラッシュしてレースを欠場したために決まるという後味の悪い結末だった。