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井上尚弥に抗った“特製”左フック。
予期せぬ名勝負を生んだ男の意地。 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

photograph byJun Tsukida/AFLO

posted2013/09/04 10:30

井上尚弥に抗った“特製”左フック。予期せぬ名勝負を生んだ男の意地。<Number Web> photograph by Jun Tsukida/AFLO

試合前、「賭けですけど相打ちを覚悟で打ちにいきます。ボクシングの醍醐味も見せたい」と意気込んだ田口(赤グローブ)は、その言葉通り最後まで諦めずに前に出て井上を苦しめた。

井上用のフックを作った、古びたハンマー。

 このパンチは田口が井上用に特別に練習を重ねたものだったようだ。中継テレビ局のスポーツニュースだったと思うが、試合に臨む田口の練習ぶりが紹介されていた。その映像の中で、田口は重たそうなハンマーを両手で持ち、それを左から振り下ろす練習をくり返していた。左の振り回す力を強くしようとする意図だったのだろうが、その練習の実際の効果よりも、木の柄のついたホームセンターで売っているようなハンマー、それも決して新品ではない、もしかしたらジムの物置にでもあったようなハンマーを使っているのが面白かった。

 左のスピードとパワーをつけるならもっと効果的な運動器具もあるだろう。理にかなったトレーニングだってあるはずだ。しかし、普通の家にあるようなハンマーをぶん回していた田口の姿に、ある種の懐かしさとボクシングの底に流れる普遍的な気持ちのあり方が見えたような気がした。

 田口はチャンピオンになる前、井上とスパーリングをしたことがあり、そのときはプロ入り前で6つ年下の井上にダウンを喫していた。日本ランカーとして屈辱だったろうが、同時に井上の力も身に沁みて感じていただろう。

 その相手と戦うには普通の準備ではダメだ。理屈じゃないんだ。計算された戦術でも科学的トレーニングでもなく、ハンマーで相手をぶち壊すような戦い方が必要なんだ。おそらくそんな覚悟が、「ハンマー特訓」につながったのだろう。

八重樫のように、再戦の機会を狙ってほしい。

 田口がハンマーを修羅の形相で振り下ろす映像を見ながら、昔のボクサーのエピソードを思い出した。

 '60年代のフライ級三羽烏のひとり青木勝利は、ライバルのファイティング原田にKO負けを喫したあと、ジムのサンドバッグに原田の写真を貼り付けて練習に励んでいたという。素朴といえば素朴だが、それをやらずにはいられない心情がよくわかる点で、ハンマー特訓と通じるものがある。

 田口はよく戦ったが、判定は0-3と一方的な井上の勝利だった。田口のハンマーが生み出した左フックは井上の顔面をとらえはしたが、腫れあがらせたり、血を流させるところまでは行かなかった。田口の特訓が、井上のパンチを避ける技術の確かさ、目の正確さを逆に浮かび上がらせたともいえる。そして、優勢を予想された日本タイトル戦でKOを逃した井上も、世界タイトルは簡単でないことを思い知ったはずだ。

 井岡一翔との統一戦に敗れはしたが、果敢なファイトで評価を上げ、世界王者に返り咲いた八重樫東の例もある。またハンマーをぶん回して、田口には再戦の機会をねらって欲しい。

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