REVERSE ANGLEBACK NUMBER
井上尚弥に抗った“特製”左フック。
予期せぬ名勝負を生んだ男の意地。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byJun Tsukida/AFLO
posted2013/09/04 10:30
試合前、「賭けですけど相打ちを覚悟で打ちにいきます。ボクシングの醍醐味も見せたい」と意気込んだ田口(赤グローブ)は、その言葉通り最後まで諦めずに前に出て井上を苦しめた。
「善戦、健闘」
「よくやった。いいものを見せてもらった」
そういってしまっては田口良一に失礼だろう。田口は王者。挑戦を受けるほうの立場なのだから。それはわかっていても、そういわずにはいられないような試合だった。
田口に井上尚弥が挑戦した8月25日の日本ライトフライ級タイトルマッチは、タイトルマッチとはいいながら、世界タイトル挑戦が規定路線のように思われている井上の4戦目、通過点のような試合と見る向きが多かった。プロ転向後3戦を全てKOで勝っただけでなく、スピードもパンチ力も試合運びも日本ランカーの水準をはるかに越えていることを見せてきた井上がタイトルマッチとはいっても、日本王者に遅れを取るとは思えなかったのだ。
もちろん田口も弱くはない。だが20戦18勝1敗1分けでKO勝ちは8つという戦績は日本王者としては突出したものとはいえない。防衛を重ねたわけでもなく、この日が初防衛戦。年齢も井上より6つ上の26歳で、ポテンシャルはある程度見えてしまっているように思われていた。
井上がどんな勝ち方をするか。倒せるのか。何ラウンドで倒すのか。試合前の関心はそのあたりに集中していた。
「王者」としてではなく、挑戦者のように。
しかし、田口は倒れなかった。それどころか、井上の顔面に何度もパンチをヒットさせ場内を沸かせた。押し込まれはしたが、逃げ回るようなところは見せず、自分から進んで足を止めて接近戦を挑み打ち合った。
6回には左目の上を切って出血したが、それでも攻撃的な姿勢は変わらなかった。王者の「受ける」ボクシングではなく、挑戦者のような戦いぶりだったが、頭の低い戦い方は、素直に井上の強さを認めた上で、なお簡単に白旗は揚げないぞという姿勢と闘志を見せつけ、見ている者を揺さぶった。おそらくこの試合で、田口という名前を印象深く頭に刻み込んだファンも少なくないだろう。
田口のパンチで特に目をひいたのは左フックである。1回はあまり見せなかったが、2回にひとつ当たると、それを足がかりに何度も井上の顔面をとらえ、そのたびに場内がどよめいた。