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アイルトン・セナは永遠に~英雄がF1に残したもの~
text by
今宮雅子Masako Imamiya
photograph byTadayuki Minamoto
posted2013/05/01 06:00
アレジが振り返るカナダGPでのサイド・バイ・サイド。
「マシンの性能が違うから、本物のポジション争いをする機会は多くはなかった。でもレースの流れや作戦によって、出会うチャンスは何度もあった。ある年のカナダGPでは、アイルトンの前輪、僕の前輪、彼の後輪、僕の後輪が縦一列に並ぶほど接近して高速のS字を抜けたことがある――接触すれば間違いなく大事故につながる状況で、僕は多くのことを考えた。そして最後の瞬間に“相手はアイルトン・セナだ”と決心した。時間にすれば一瞬の思考だったけれど、ものすごく長く感じられたね。僕とアイルトンは正確に数センチの間隔を保ちながら、同じようにアクセルを踏み続けた。その後、バックストレートから最終コーナーのシケインを抜けて1コーナーまで、僕らは真横に並んで走り続けた。あんな戦いは、他の誰ともできない。ミハエルと? 無理に決まってるじゃないか」
私生活では仲の良いシューマッハーを評して「F1にジグザグ走行を持ち込んだのは彼だよ」と、アレジは寛容に微笑んだ。
「このタイトルを、アイルトン・セナに捧げたい」
'94年のアデレードで初めてのチャンピオンに輝いたシューマッハーは、こう語った。混乱を極めたシーズン、政治に揉まれ、出場停止や失格によって16戦中4戦を奪われながら、それでもがむしゃらにタイトルを獲りにいったのは「本来、その資格があるたったひとりの存在に捧げるため」であったと告白した。
「41勝目」を飾ったシューマッハーが涙を流した理由とは?
セナのライバルとなるチャンスを永遠に失ったシューマッハーには、そうするしかなかった。それでも、心の空隙は埋まるはずもなく、彼はセナが成し遂げようとしなかったこと――フェラーリとともに王座を勝ち取るという壮大な挑戦に、身を投じていく。勝利のためなら、あからさまに反スポーツ的な行為さえ厭わない姿勢はしばしば批判を浴び、ドライバー仲間から敬意を得ることもなかった。'97年の最終戦では、タイトルを争うジャック・ヴィルヌーヴに故意に接触したとして、選手権の最終結果から除外される厳罰も受けた。シューマッハーにしてみれば、自らのどんな行為よりも、セナの不在が理不尽だったのかもしれない。
初タイトルの美しいスピーチは、その後の彼が生み出した様々な論争にかき消され“シューマッハー世代”のF1ファンにとっては、戦績や記録だけがふたりを結びつける要素となった。シューマッハーもまた孤独を抱えて戦ってきたのだと人々が気づいたのは、2000年のイタリアGP――41勝目を飾ってアイルトン・セナの記録に並んだ気持ちを訊ねられた彼は「走り続けていればアイルトンはずっと多くの勝利を飾れたはずだから、41勝を彼の記録と捉えるのはフェアではない」と言い、突然ボロボロと涙を流し始めた。彼が人前で感情を制御できなくなったのは、後にも先にもこの一度きりだった。