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アイルトン・セナは永遠に~英雄がF1に残したもの~
text by
今宮雅子Masako Imamiya
photograph byTadayuki Minamoto
posted2013/05/01 06:00
だが時が流れたいま、人々はもう痛みを恐れることなく、
美しいシーンの記憶とともに、その人の名を口にする。
ライバルとして鎬を削ったプロストやジャン・アレジ。
1994年、王座についたシューマッハー。
憧れの感情を抱きマシンを駆るバトンやアロンソ――。
この世界の住民たちに、彼は何を残したのだろうか。
19年前の5月1日、この世を去った“音速の貴公子”アイルトン・セナ。
Number824・825号に掲載された追憶のストーリーを特別に全文掲載します。
1994年、フォーミュラ・ワンのひとつの時代が終わった。美しく壮絶なひとつの人生に幕が下ろされ、F1はその後何年も喜怒哀楽の感情を失ってしまった。
しかし時が流れたいま、振り返ると、何も終わってはいないという思いが強くなる。アイルトン・セナは5月の陽光のなかで突然、誰にも別れを告げることなく姿を消し、残された私たちは今日も彼を探し続けている――胸を刺すような痛みが時間をかけて少しずつ和らぐと、甘美な悲しみが心に棲みついた。
人々はもう、痛みを恐れることなく“アイルトン・セナ”を口にする。最後の記憶より、美しいシーンだけが何度もそれぞれの心のなかに映し出される。
ピケ、マンセル、プロスト……時代は流れても、セナの物語は続く。
ネルソン・ピケがいて、ナイジェル・マンセル、アラン・プロストがいて……今日のように“滅菌”されていないパドックで、ドライバーたちは誰に強制されることもなく自由に振る舞い、好きなだけ仕事をし、気が向けば取材に応え、機嫌が悪ければモーターホームに閉じこもるか、早々にサーキットを後にした。そんな時代がとうに終わってしまったことは、いまでは60歳に届くか届かないかという年齢の彼らに出会えば“当たり前だ”と思う。
アイルトン・セナだけが少し淋しげな、やっと大人に到達した34歳の表情でそこにいる。みんなが仕事を終えても、エンジニアをつかまえようとホテルのロビーで待っていたころのままで。
セナの物語は、続いているのだ。エゴと野性を受け入れていたF1と一緒に。
だから、ミハエル・シューマッハーが1994年のチャンピオンに輝いても、時代はセナからシューマッハーへと移行したわけではなかった。セナはシューマッハーにバトンを手渡したわけではなく、そのまま走り去ってしまったのだ。残されたドライバーの不幸は、アイルトン・セナのライバルとなり得ないまま、タイトルを獲得したことだった。