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アイルトン・セナは永遠に~英雄がF1に残したもの~
text by
今宮雅子Masako Imamiya
photograph byTadayuki Minamoto
posted2013/05/01 06:00
念願のウイリアムズ移籍を果たしながらも抱えた孤独。
'94年のアイルトン・セナは孤独だった。あれほど乞われ、自らも焦がれるように望んだウイリアムズ・ルノーへの移籍だったが、そこは6年間在籍したマクラーレンとは違っていた。突然のレギュレーション変更によってハイテク技術を奪われたマシンも、明らかに安定性を欠いていた。そして何より、'91年末にネルソン・ピケが、'92年末にナイジェル・マンセルが、'93年末にアラン・プロストが去ったF1は、セナが知っていたはずの世界ではなくなっていた。
かつてピケは母国の後輩であるセナを「サンパウロのタクシードライバー」と見下し、ありとあらゆる毒舌で攻め立てた。猪突猛進のマンセルは緻密なレースを戦うセナにとってしばしば迷惑な存在となった。プロストについてはあらためて記す必要もない――人々の心を奪いF1のスケールを一気に拡大するほど、ふたりのライバル関係は熾烈に、類を見ないほど長く続いた。
先輩ドライバーたちの誰に対しても、素直な好感を抱いていたわけではなかった。しかし彼らが、とりわけアラン・プロストがいたからこそ、セナは10年間ずっと、タイトルを獲得した後も、挑戦者でいられたのだ。
現役でただ一人のチャンピオンとして迎えた'94年だったが……。
'94年の彼は“現役でただひとりのチャンピオン”だった。
開幕戦のブラジルGPも、TIサーキット英田で行なわれた第2戦パシフィックGPも、ポールポジションはアイルトン・セナが獲得した。しかしそれは、ドライビングという芸術の頂点を極めた技によるもので、完成が遅れたウイリアムズFW16は305kmの間、素直にドライバーに従うようなマシンに仕上がってはいなかった。セナを追ったのは25歳のミハエル・シューマッハーで、彼のベネトンはウイリアムズに先んじるかたちで、ウイリアムズよりも巧みに、このシーズンからの新規則に対応していた。
サンパウロでは、この年から導入された給油のためのピットストップで、シューマッハーがセナの前に出た。英田では、スタートでセナがホイルスピンした間にベネトンが先行した。サンパウロのセナは71周レースの56周目にスピンしてリタイア。英田ではスタート直後にミカ・ハッキネンのマクラーレンと接触、1コーナーでコースアウトしたウイリアムズに他のマシンが突っ込むかたちでセナのレースにあっけない終止符を打った。