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<甲子園・名将たちの記憶> 木内幸男×中村順司 「栄冠に輝くための勝負論」
text by

阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byTakanori Ishii
posted2012/08/08 06:01
高き二人の智将は、'84年夏と'87年夏の2度、決勝の舞台で対決し、1勝1敗と
星をわけあっている。あれから25年、双方の采配が交錯した「伝説の夏」と
忘れじの球児たちの思い出、そして監督術まで、たっぷりと語り合った。
ともに複数の優勝を経験した名監督は、夏の決勝で2度顔を合わせている。対戦成績は1勝1敗。ふたりで向き合うのははじめてという対論は、1984年夏、取手二高とPL学園の決勝の思い出からはじまった。
中村 この年の春、招待試合で対戦させていただいたことがありましたね。
木内 水戸でね。県の連盟が招待したんですよ。そしたらもうコテンパンにやられて。
中村 ぼくらも呼んでいただいて、失礼があってはいけないとベストメンバーで行きました。桑田が先発、清原が4番。スコアは13対0だったかな。桑田は9回の1死までノーヒットノーランじゃなかったですかね。
木内 そうそう。清原に本塁打打たれて、ウチは1安打。でも負けて子どもたちが変わりました。オレの打ち方じゃ通用しねえな、短く持ってセンター返しだ、なんて話を自分たちでするようになった。生徒からバッティングを変えたんですよ。だから取手二高の土台はPLが作ってくれたようなもんです。それだけ強いチームでした。
中村 でも、木内先生はあの試合で投手を5人ほど使われていましたよ。
木内 エースが故障していたのもあるけど、どんな投手なら通用するかなと(笑)。どんな球を嫌がるのかというテストができた(笑)。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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