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<日本一のアルパインクライマーが語る(2)> 山野井泰史 「一人で登る理由、幻覚との対話」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byMiki Fukano
posted2012/08/09 06:00
判断が冴えるとき、ゾーンの世界への入り方。
――アスリートが「ゾーン体験」として語るものに近いのかもしれませんね。ゾーンに入ると世界がスローモーションに見えることがあるといいますけど、山野井さんが猛スピードで判断しながら壁を登っているときも、時間の感覚はスローですか。
そういう時間の感覚はあんまりないですね。ただ、判断が冴えるのは、技術的にちょっと難しいところ、垂直の壁に向かっているときが多い。傾斜が緩くなると、その感覚はなくなる気がします。
一般的に、ロッククライミングは初心者でも潜在能力を引き出しやすいスポーツだといいますよね。ロープで確保されていても、やっぱり怖いから、手を離したくないじゃないですか。だから、ものすごい力で岩をつかんでいる。そういうギリギリの状態だと視野が狭くなってくるし、怖いんだけど、初心者の人でも必死で最後の一手が出たりします。
僕の場合、それを雪山や氷でもやってるということなのかもしれない。ただ、僕は前腕がぱんぱんになって、落ちそうだなあと思う場面でも、「足場があっちにあるな」と見ていたり、視野は広いです。たぶん指が開いて落ちる瞬間までしっかり見ているんじゃないかな。もしかしたら、落ちている最中も、ピッケルか何かで滑落を止められないかと、いろいろなことをやりそうな気がします。
――そういうゾーンの世界への入り方を突き詰めてみたいと思うことはありますか。
能力の開発のようなことにはさして興味がないです。僕の場合、やっぱり登ること自体が楽しいから登っているだけでね。
心肺機能を上げようと思って一生懸命坂道を走ったり、ヨガ的な呼吸法をやってみたり、トレーニングはします。でも、研究者の方に「遺伝子を調べさせてほしい」と言われたときは断りました。いまは遺伝子で高所に強いかどうか分かるらしいんだけど、個人的には科学で解き明かすことにはあまり興味がないんです。僕自身が高所で強いというのは経験で分かっているし、遺伝子とか科学じゃ分からないところが、山登りのおもしろさだと思うから。
いま山岳雑誌とかで、山登りでは一日何千キロカロリー採りましょうとか、いろいろノウハウが書いてありますけど、僕は何だかわけのわからないものを食いながらやってる感じ、管理されていないところがおもしろいんだと思う。失敗しちゃったら失敗しちゃったで、それもおもしろいじゃないかと。