Number Do MoreBACK NUMBER
<日本一のアルパインクライマーが語る(2)> 山野井泰史 「一人で登る理由、幻覚との対話」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byMiki Fukano
posted2012/08/09 06:00
アマ・ダブラム西壁、潜在能力の発揮。
――その後、ブロード・ピーク(8054m)から本格的なヒマラヤの高所登山に向かっていきますね。ヒマラヤの山々での出来事は、『垂直の記憶』の中でも詳しく書かれていますけど、自分の中に大きな変化をもたらしたものをあげてもらうとしたら、どの山になるでしょうか?
そうだなあ……いろいろあるけど、'92年のアマ・ダブラム西壁(6812m)は、ヒマラヤでアルパインスタイル、ソロ、しかも、ほとんどロープも使わず、新ルートの初登に成功したという意味では自信になりましたね。当時、日本人ではまだそういうことができる人がいなかった時代だったから。
ただ、アタック前はものすごく体調が悪かった。たぶん肝炎のようなものにかかっていたんだと思います。ネパールはベースキャンプまでの距離がすごく長くて、そのときも5~6日歩いたんですけど、トレッキングしている人全員、それこそおじいさんにも追い越されました。食事は喉を通らず、コーラを1日に2本飲むのが精一杯だった。
ベースキャンプでピッケルを磨きながら、こんな状態で登れるのかと不安だったんですが、いざ壁に取りついてピッケルを振るいだしたら、不思議なことに体調の悪さがいっさい消えてしまった。そして、ものすごいスピードで登っていくわけですよ。3日後には順調に頂上に立って下りてきた。
でも、ベースキャンプに戻った途端、なぜかまた一歩も歩けないほど体調の悪さがぶり返しました。
その後も、高所のクライミングを終えてベースキャンプに降り立つと、2~3日一歩も歩けなくなるというパターンが何度もあった。内臓が疲れて食べることもできず、動くこともできない。しかも脳が興奮状態なのか一睡もできない。
たぶん僕はもともとの能力というのはそんなに高くないんですよ。体力もテクニックも。ただ一回登り出せば、全開の能力を何日も出し切れる。しかも、それを高所の薄い酸素の中でもできる。アマ・ダブラムではそのことに気づきましたね。
――アスリート的な、内的な潜在能力を発見したということですかね。身体の中にある普段使っていない能力が壁を前にすると急に目覚めるという……。
スピードスケートの清水宏保選手が潜在能力をすべて出し切るためのトレーニングをしているというドキュメンタリーを見たことがありますが、僕もそういうものを比較的出しやすいほうなんでしょうね。
どうすればそういうエネルギーが出てくるのか、計算も方法論もないんですけど、ただピッケルを振るうと出てくる。登り出すと判断のスピードがものすごく速くなる。「このオーバーハングの陰からはもしかしたら石が落ちるかもしれないから、右へ行こう」とか、「この氷は青いから3回は打たないとだめだな」とか、そういう判断が瞬時にできる。しかもそれを何日も続けることができる。あるいは30時間ぐらいぶっ続けでやれる。