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<日本一のアルパインクライマーが語る(2)> 山野井泰史 「一人で登る理由、幻覚との対話」 

text by

柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

PROFILE

photograph byMiki Fukano

posted2012/08/09 06:00

<日本一のアルパインクライマーが語る(2)> 山野井泰史 「一人で登る理由、幻覚との対話」<Number Web> photograph by Miki Fukano

トール西壁、名誉のためでもお金のためでもなく。

――そのトール西壁に挑戦したのは1988年、23歳のときでした。これもソロですね。

 ただこのときは楽しみと同時にやっぱり不安も大きかった。自分の技術で行けるのかなって。まだ経験もそれほどなかったし、なにせ北極圏だから、病気になったり怪我をしても誰も助けに来てくれない。ぜんぶ自己完結しなきゃいけないので、出発前はすごく怖かったですね。

 取り付いてからは、毎日15時間ぐらい登って、ハンモックで寝ての繰り返し。白夜の中8日間がんばって、頂上に辿り着いたときはボロボロになってました。雪の上に大の字になったら、思わず涙があふれ出ました。ちっぽけな僕でもできるんだなって。山で泣いたのは、それが最初で最後だったと思います。

 トール西壁は、切り立った壁を登った後、帰りは緩やかな斜面を下りてくるという理想的な地形でした。僕はどちらかというと、登りでがーっと燃焼しきりたいんです。そして、あとはハッピーに穏やかに降りてくる。それが登山としてはいちばん幸せなパターン。本当は頂上で終われたら、いちばん気持ちいいと思う。僕は下りに喜びは見いだせないですね。仕方なく下りる感じです(笑)。

 いずれにしても、トール西壁の経験は僕にとってものすごく大きかったですね。

 その頃には、もう評価もあまり気にならなくなっていました。有名になるために登っているわけじゃないし、誰がほめてくれるわけでもない。山の記録としては立派かもしれないけど、「よくやったね」と言ってくれる関係者や登山界の友人がせいぜい10人とか15人。

 もちろん、登ったからといって、お金にもならない。アルバイトして資金を貯めて、航空券や食料を買って、登って帰ってきたら残高はほとんどゼロです。

――山野井さんの場合、クライマーとしてやっていることはプロフェッショナルなのに、活動の形はアマチュアを貫いていますよね。スポンサーも基本的には付けていませんし。

 一度、パタゴニアへ行くとき本当にお金がなくて、紹介されて何社か回ったんですよ。でも、すべて断られてしまいました。いま思えばそのほうがよかったんだと思う。スポンサーに付いてもらうと、メディアへの露出が必要になりますよね。すると、世間でも有名になっていく。そうしたつながり、社会的な関係性が楽しいという登山家もいます。でも、僕はそこにはエネルギーを使いたくないというか、楽しみを見いだせなかった。きっとスポンサーやメディアを通じて世間と関わることで、賞賛されたり非難されたりしながら、その中で成長することもあるのかもしれないけど、僕が登る理由はそこにはない。

 それなら友人からお金を借りてでも行ったほうが、まだ気楽だなと思うようになった。当時は期間工とかでも日当がけっこうよかったし、富士山の強力(ごうりき)もずいぶんやりました。僕の場合、食費もそれほどかからないし、家賃も安かったから、半年ぐらい働けば、遠征費用はそれなりに貯められたんです。

【次ページ】 アマ・ダブラム西壁、潜在能力の発揮。

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