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お江戸の中心部をグルッと巡る。
外堀通りは不思議な名所密集地帯! 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2012/06/27 06:00

お江戸の中心部をグルッと巡る。外堀通りは不思議な名所密集地帯!<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

市ヶ谷駅の遠景。外堀沿いにはJR総武線など重要な鉄道も走る。ちなみに、この市ヶ谷駅から飯田橋駅の間の外堀直下には、地下鉄の広大な車庫が広がっている。

誰もが持っているはずの思い出、「初めての東京」。

 市ヶ谷、飯田橋、水道橋、と中央線の駅をたどるように、外堀通りは続いていく。

 さらに水道橋から後楽園。このあたり、随分風景が変わったなと思う。東京ドームシティの高層ビルなんかが建ったし。と、あれ? これは?

 ふと、息が止まるほどに懐かしいビルを見た。

 東京グリーンホテル後楽園。

 わ、これ、18歳の頃、大学入試で東京にきたときに泊まったホテルではないか。私ごとでほんと恐縮なんだが、うわー、そのまんま憶えてるよ。まだ東京の右も左も上も下も分からなかった頃、入試前日、この周辺を歩いた。

【写真上】 昭和58年に建てられた東京グリーンホテル後楽園。前身は旅館業を営んでいた古~い由緒正しい会社とのこと。
【写真下】 「一発 逆転酒場」は2年前に開業。九州料理をメインとした居酒屋として繁盛しているようである。

 そうそう、神田川の橋を渡って、水道橋駅の西口に出るんだよ。で、立ち食いそばがあった。今もある。27年前「お、これこそが噂に聞く立ち食いそばか!」と感動して食べた。私の故郷宮崎に、立ち食いそば店はなかったから。

 店の並び自体はまったく変わってしまった。「さくら水産」とか「和民」とか「回転寿司海鮮三崎港」とか、みんな当時はなかったからね。

 でも、それらの店が入っているビル自体は、当時と変わらないわけさ。だから、この雰囲気、佇まい、なにかココロの奥底で憶えてる。

 地方出身の人ならば、誰にもそういう風景があるはずだ。最初に東京にやってきたときに見た、新鮮な東京の風景、さまざまな街並みと、その匂い。ありふれた普通の風景であろうと、誰かが必ず特別な思いを抱いている。そういうことってある。

 それにしても、この界隈、インパクトのある新店があって、その名を「一発逆転酒場」という。

 もちろん居酒屋であります。なんのことやら。いったいどんな店なんだろう。人生、どう一発逆転してくれるんだろうか。

 ちょっと入ってみたくなるのも確かだ。

日本の学校の原点ともいえる、昌平坂学問所跡がある湯島聖堂。

 外堀通りは、やがてお茶の水エリアに入っていく。

【写真上】 杏壇門から湯島聖堂の大成殿を望む。元は幕府儒臣・林羅山の邸内にあった孔子廟を、五代将軍綱吉が上野からここに移設し、十一代将軍家斉がさらに大きくして「昌平坂学問所」を開設した。
【写真下】 写真の孔子像は、昭和50年に台北市の民間団体からの寄贈された。孔子の銅像としては世界最大。

 とはいっても、自転車で走っているかぎり、エリアを越えるという感じはない。街と街とは繋がっているのだ。でも、いつのまにやらグラデーション的に、少しずつ少しずつ、街のたたずまいが変化していく。

 お茶の水界隈といえば、楽器店街、スキー・スポーツ店街、という側面もありながら、もうひとつ予備校街、大学街という側面がある。

 その元祖なのだろうか、ここには学問の神様がいる。昌平坂学問所跡があって、孔子さまのデカい銅像がたっている。さすがに絵馬も「合格祈願」ばかり。いや、合格祈願オンリーといっていい。

 この昌平坂学問所が、やがて、現在の東大やらお茶大やら筑波大やらの系譜へと繋がっていくわけで、そういう意味では、ここは日本の大学教育の元祖なのだ。

 もちろん江戸時代のこと、学問の基本は儒学である。

 かつての日本人は、こうした中国の聖人たちからたくさんのことを学んだ。

 ところが昨今の中国はねぇ。数々のパクリや、尖閣ほかの自分勝手な主張。こうした中国4000年の歴史に泥を塗ることが多すぎるように見えるんだけどね。本当にもう困ったものだが、あれ、この孔子像にしても、台座を見たら「台北の団体が贈った」と彫ってある。

 なんだそうか。台湾か。ならば納得。台湾はきちんとしたところだよ。

【次ページ】 江戸時代、迷子になったら此処に集まる!?

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