野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
開星の“やくざ監督”野々村直通氏が、
DeNA梶谷に送るアツすぎるエール。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2012/06/11 10:30
写真は開星高校野球部監督時代の一コマ。今年3月に高校を定年退職して以降は、教育評論家としても活躍中で、さっそく『やくざ監督と呼ばれて』(白夜書房)を上梓している。この6月には勝谷誠彦氏との共著となる『にっぽん玉砕道』(産経新聞出版)を出版予定。
ひさしぶりに規格外の野球人にお会いした。
その男……いや「漢」、あるいは「侠」と記した方が適切であろうか。
島根県は開星高校前野球部監督・野々村直通氏。
この破天荒な高校教師をご存じな方も多いだろう。その名を一躍全国に轟かせた2年前のセンバツでの舌禍事件。21世紀枠で出場を果たした和歌山県向陽高校に敗れ「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」「腹を切りたい」と言ったことが騒動となり、さらに謝罪会見でのド派手な服装が「不適切だ」と、世間から大バッシングを受けたその人である。
事件の影響から世間では悪人の如きイメージを持たれてしまったが、この野々村氏、とにかく勘違いされやすい。
まずもって見た目からして『侠』が滲み出る。抽選会名物であった羽織袴姿をはじめ、スーツも紫のラメ入りなど、常日頃からおよそそちらの筋の方のファッションではないかと見紛うようなド派手な服装と、理髪店に「菅原文太にしてくれ」と頼む短髪にサングラス。
そしてハートは上の写真のように監督室には日章旗に旭日旗というバリバリの愛国者であるからして、当然、その教育も明日の日本を支える若者に世間の厳しさを教えるために手も足も出る。試合中に「オンドリャァァ! ワレェェ!」と怒声を上げて、時に試合相手すら恐怖に陥れ、時に挨拶に伺った某強豪校監督を震え上がらせたり……と、何度も言うが、その見た目と、何事も包み隠さず本音で当たっていく真っ直ぐさ故に、とにかく多くの誤解を招いてしまいがち。
だが、何事にも命がけで生きてきた故に、教え子をはじめ、その人となりを知る人らからはとことん慕われ、絶大な信頼を得ている。かの舌禍事件により監督辞任に追い込まれた際には、保護者、卒業生を中心に復帰運動が高まり、向陽高校の和歌山県をはじめとする全国各地からは8000の嘆願書が集まったほどである。
野々村野球の薫陶を受けた選手の中にはプロ野球に進んだ者も。
「一球懸命」
その一球に命を懸ける。そんな野々村野球の薫陶を受けた生徒の一人に現在プロで活躍する選手がいる。
横浜DeNAベイスターズの梶谷隆幸内野手。
その選手のプレーを見ていると、根底に野々村氏の教えが息づいているような気がして妙に合点が行き話をきかずにはいられなかった。
ちなみに野々村氏はプロ入り後の梶谷とはほとんど連絡を取っていない。唯一、あの舌禍事件が大々的に報じられたスポーツ新聞の一面。ドン小西が野々村氏のファッションをケチョンケチョンにしていた片隅で、梶谷が出した「監督はとにかく負けず嫌いで信念の人。負けたことがよっぽど悔しかったんでしょう。監督にはいつも命がけでバッターボックスに立てと言われてきました。どんな風に言われようと、僕にとって野々村監督は一生の尊敬する恩師です」という、どん底の野々村氏が「報道のなかで唯一救われた」という談話。それぐらいがプロ入り後、師弟の間に交わされた言葉だ。
ではプロ入り後の梶谷は、どのような選手になったのだろうか。