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<捕手人生26年・中嶋聡が振り返る> 野茂、松坂、ダルビッシュ 「怪物たちのボールの記憶」
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byTakahiro kohara/Hideki Sugiyama
posted2012/06/12 06:00
以来、4つの球団を渡り歩き、400人超の投手の球を受けてきた。
左手を抉るように投げ込んでくる印象深い豪腕、
快腕の“受け心地”を今、あらためて振り返った。
「明日は雨じゃないですか? 左手の人差し指の付け根が白くなり始めましたから。天気が悪くなるとこうなるんです。血行障害で」
日本ハムのバッテリーコーチ兼捕手・中嶋聡は、そう言って笑った。
'87年、秋田・鷹巣農林高からドラフト3位で阪急(現オリックス)に入団。1年目から一軍に出場、西武、横浜(現DeNA)、日本ハムの4球団を渡り歩き、マスクをかぶり続けてきた。オールスター戦を含めて、受けた投手の数は400人超。“平成の名投手”たちの真剣勝負に数多く立ち会った。
「指が痛くなる球を投げる投手は、やっぱりいい投手なんですよ」と言って、変形している左手人差し指をじっと見つめた中嶋。その指は白く濁っていた。
中嶋が入団した頃の阪急は、黄金期は過ぎていたが、投手力は充実しており、ベテラン陣には山田久志(通算284勝)、今井雄太郎(完全試合投手)、佐藤義則(40歳でノーヒットノーラン)、若手には星野伸之(通算176勝)といった豪の者が揃っていた。
「昔のエースって、わがままな人が多かったじゃないですか。自分で納得がいくまで調整して仕上げていくし、人に言われずとも全部自分でやる。それだけに気分よく投げたがる。山田さんなんか、球を受けていてもミットからいい音が出なければ、投げるのをやめてた(笑)。当時はいかに気持ちよく投げてもらうかばかりを考えてましたね。145kmを超す人はいなかったけれど、逆にボールの勢いに頼らない投球術を教わりました。星野さんや山田さんは、3つの球種を7種類ぐらいに感じさせる組み立てを持っていて、遅い球で勝てる投手ってすごいな、と感動しました」