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CLを制したチェルシーをどう評価?
クライフとアンチフットボール論。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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posted2012/06/04 10:30

CLを制したチェルシーをどう評価?クライフとアンチフットボール論。<Number Web> photograph by AFLO

クライフはかつてチェルシー時代のモウリーニョとの論争の中で、「偉大な選手がいるビッグクラブは、守備だけでなくもっとサッカー全体の利益になることをすべきだ。勝利や自分の利益だけを考えサッカー界の利益を考えない監督には共感できない」と語ったこともある。

“天才”にしか見えない世界があることに、気づいた時。

 そういう経験を通して確信した。

“天才”にしか見えない世界があるのだ、と。

 ある選手が、人とは違うものが見えていて、技術がともなうと、間違いなく観衆の想像を超えるものをプレーで表現できる。それこそがサッカーのスペクタクルな瞬間だ。

 だが、そういう創造性を発揮できるのは、ボールを持ったときだけだ。ボールを持っていなければ、目の能力も、技術も生かすことはできない。

 だからこそ、クライフはボールを持つことにとことんこだわり、ボールを放棄したアンチフットボールを憎むのではないか。

 将棋やチェスのように選手を駒として見て、攻撃的だとか、守備的だという議論をするのだったら、アンチフットボールという概念などどうでもいいだろう。だが、選手の中には、間違いなく特別な能力を持った人間が存在するのだ。クライフがアンチフットボールを憎むのは、ピッチの上でそういう人間たちの輝きを見たいからに違いない。

 このふたつの推測が合っているかはわからない。ただ、クライフの声の根底にある思いを想像することは、無駄ではないと信じている。

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ヨハン・クライフ

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