フットボール“新語録”BACK NUMBER
CLを制したチェルシーをどう評価?
クライフとアンチフットボール論。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2012/06/04 10:30
クライフはかつてチェルシー時代のモウリーニョとの論争の中で、「偉大な選手がいるビッグクラブは、守備だけでなくもっとサッカー全体の利益になることをすべきだ。勝利や自分の利益だけを考えサッカー界の利益を考えない監督には共感できない」と語ったこともある。
あまりに苛烈な言葉で批判したヨハン・クライフの心。
オランダの英雄、ヨハン・クライフは、おそらく今回のチェルシーのスタイルに対して、最も厳しい意見を持っている人間だろう。テレグラフ紙のコラムをこんな刺激的な文章で始めた。
「私はほぼ確信している。今回のチェルシーの勝利を喜んだのはチェルシーのファンだけで、それ以外の人は満足していないと」
そしてこう続けた。
「私を悩ませるのは、フットボールをすることを忘れてしまったチームが、それにもかかわらずすべてを勝ち取ることだ。チェルシーの選手の名前を見れば、誰もがその質の高さに気がつくはずだ。だから私が理解できないのは、彼らがキックオフから0対1で負けているかのようにプレーしたことだ」
クライフの怒りはコラムの中でどんどんエスカレートしていき、ついには「自分はこういうやり方なら優勝しなくていい」と結論づけている。
敗れた側のドイツ国内でもチェルシーの奮闘を称える声が多い。
もちろんサッカーの見方は人それぞれで、クライフへの反対意見もある。
たとえばバルセロナのセスク・ファブレガスは「チェルシーには運があったが、勝利には運は必要。祝福すべき」とコメント。そして何より、決勝で敗れたバイエルン側のドイツメディアが、ほとんどチェルシーのやり方を問題視していないのだ。
キッカー誌は「バイエルンは(先制後に)冷静さを保てなかった」とメンタル面の弱さを指摘。「歴史に刻まれるのは名前だけ」と結果がすべてであることを強調した。
ネッツァーが「あのサッカーを学校で教えたら、私はもうサッカーを観に行かない」と嘆いたり、マティアス・ザマーが「あれがサッカーの未来だというのなら、カタストロフィー(終焉)だ」と批判したり、いくつかの例外はあるものの、それはドイツサッカー界で頂点までのぼりつめたカリスマの少数意見。もともとドイツが勝利至上主義で成功を収めてきたことが、メディアの論調に関係していると思われる。
結局キッカー誌が書くように、いくらバイエルンが攻め込んだとはいえ、トロフィーに名が刻まれるのはチェルシーであり、「アンチフットボールだったか?」という議論もすぐに忘れ去られるであろう、どうでもいい話なのかもしれない。