日本代表、2010年への旅BACK NUMBER
セルビア戦でついにコンセプト崩壊。
岡田ジャパンに闘志は残っているか?
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2010/04/09 12:30
岡田監督は必須科目から応用科目への移行を狙った。
岡田武史監督は今年に入って、コンセプトという必須科目は「ある程度体に染み付いた」として、ドリブルの仕掛けなど個の特徴を活かす応用科目に選手の意識を向かせてきた。これはたとえば速いクロスと指示すると速いクロス一辺倒になってしまう傾向がチームにあったために、そこからの脱却を図るうえで敢えてコンセプトという基本方針を声高にしなくなったのだ。ニアへの速いクロスを成功させるための布石として、放り込むクロスがあるのはいい。しかしこのセルビア戦ではそういった狙いを感じることはできなかった。応用科目の成果を出すはずが、逆にコンセプトの瓦解を予感させてしまう試合となってしまったのだ。必須科目を「統制(約束事)」と考えれば応用科目は「自由(個人の裁量)」。その狭間でチームの戦い方に迷いが生じてしまっているのは明白。指揮官からすれば大きな誤算だったに違いない。
パスやスピードで勝負するサッカーを捨てるのか?
指揮官は試合後の会見でこう言った。
「(メンバーが)11人そろったときはできるけど、ケガ人が出てどうするのかというときに同じ戦い方では厳しい。試合の前半から中盤にかけて我慢する戦いというのも必要かな、というところが分かった」
オプションという但し書きはつくが、「3バック」という言葉が飛び出すなど守備的なシフトチェンジをにおわす発言である。現実的な路線と受け取ることはできるが、これまでの指揮官は難しいチャレンジを承知のうえで強豪相手にパスやスピードで対抗するサッカーを目指してきたのではなかったか。だから「ベスト4」を目標に掲げたのではなかったか。思いきった守備的な現実路線に切り替えるなら、目標も現実路線に切り替えなければならなくなる。
もし監督が本当に弱気になってしまっているのなら……。
岡田武史は弱気になっている。会見の言葉を聞いていて、そう感じずにはいられなかった。もし本当に私の勘が当たっていたとしたら、本大会で指揮を執るべきではない。「ベスト4」という大望がたとえ遠くにかすんでしまったとしても、その看板を外すということは岡田ジャパンの瓦解を意味するからだ。世界に日本サッカーを問う、岡田ジャパンの大義名分がなくなってしまうからだ。スタイルを変えるというなら、新たな監督がやったほうが効果的である。
しかし本大会まで2カ月を切った以上、監督交代という選択は考えにくい。岡田ジャパンで南アフリカに乗り込む以上、守備的な手法を考えることよりも必須科目と応用科目の狭間に揺れる選手たちの迷いを取るための新たなアプローチが先決だ。必須だけでは上積みがない。応用だけではまとまりがない。岡田はこの難問の答えを意地でも見つけなくてはならない。
まだ怒りが身体の中に燻ぶっているなら、希望はある。
セルビア戦の大敗を指揮官自身重く受け止める必要がある。
びっしりとファンで埋まった長居スタジアムは嘆息に包まれ、ブーイングまで飛んだ。奇跡を起こすために必要なファンとの一体感を得ることはできなかったのだから。
試合を終えた岡田は中継局のインタビューに応じなかった。「負けることは大嫌い」と言ってきた監督である。選手を活かせなかった己に対して表現できないほどの怒りを内に秘めているならば、わずかでも希望は持てる。
迷って立ち止まるほどの時間は残されていない。後戻りもできない。岡田がまずもってやらなければならないことは、選手たちを前に向かせることである。