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阪神・歳内宏明と楽天・田中将大。
共通する投手としての“道と才能”。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2012/01/31 10:31
鳴尾浜球場で新人たちと一緒に合同自主トレに励む歳内宏明。昨年末に右足首をねん挫して、合流が遅れたが、一気に巻き返す勢いで激しく練習をこなしていた
阪神の歳内宏明は、名選手と比較されることをあまり好む投手ではなかった。
聖光学院時代に甲子園で快投を演じ、昨年のドラフトでは阪神から2位指名を受けた。日に日に注目を浴び、周囲からもてはやされる。表面上では「感謝しています」と言いながら、その実、内心では違和感を抱く。インタビューなどで、何度も「目標とする選手は?」という質問を投げかけられたが、その度に彼は、「特にいません」と答え続けた。
「ちやほやされることを望んでいない。どちらかというと黙々と練習するほうが好きなタイプ。それが歳内のいいところ」と、聖光学院の斎藤智也監督は彼の心情をそう斟酌する。
そんな歳内が、昨年12月12日に行なわれた阪神の入団会見で、はっきりと現役選手の名を口にした。
「田中将大投手(楽天)のようなピッチャーを目指したいと思います」
これこそが、歳内のプロにおける、何よりの決意表明であった。
それは単に、田中が球界を代表する投手だからではない。歳内は、これまで何度も田中と比較されてきた。2人には共通項が多いからだ。
彼は、それを承知の上で、田中を目標に掲げたのだ。
「宝塚ボーイズ」の恩師、奥村幸治の勧めで遠方の高校へ進学。
では、その共通項とは何か。大きく分ければ3つ挙げられる。
ひとつは、兵庫県で育ち、中学時代は「宝塚ボーイズ」でプレーしていたこと。さらに付け加えれば、そこから発展途上中だった北国の高校へ進学したという点だ。
田中は当時、甲子園で未勝利だった北海道の駒大苫小牧への進学を決めた。理由について、ボーイズの監督だった奥村幸治から紹介され、「練習を見ていたらチームの雰囲気がとてもよかった。香田(誉士史)監督の『考える野球』にも惹かれた」と述べている。
歳内は福島県の聖光学院に進んだ。2008年夏に甲子園でベスト8。すでに知名度を上げていたものの、彼は当初、同校のことをよく知らなかったという。入学を決定付けたのはやはり奥村監督の勧めだった。
「斎藤監督や横山(博英)コーチ(当時)と話をして、野球に対する考え方とか雰囲気が奥村監督に似ているな、と感じて。練習もすごく集中してやっていたんで、『いい環境で野球ができそうだな』というのが決め手でした」