プロ野球亭日乗BACK NUMBER
プロ野球のビデオ判定スタート。
審判の権威が崩れ始めている!
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/04/06 10:30
巨人・ヤクルト2回戦、9回表ヤクルトのガイエルがセンターオーバーの打球を放ち二塁で止まるも、飯田コーチが右手を回しアピール。名幸一塁塁審はフェンスの上部に当たったとインプレーの判定をしたが、責任審判員の森二塁塁審(中央)がビデオ判定を採用。フェンスを越えたとして判定がホームランに変更された
今シーズンからセ、パ両リーグで本塁打の判定に限って、ビデオ判定の導入が決まった。
もともとビデオ判定にはあまり賛成ではなかった。
一つは野球とはプレーが連動し、その連続性がスリルと醍醐味につながると思っているからだ。ビデオ判定がはさまれば、当然ながらプレーは中断する。そのリスクを最小限にとどめるために、今回は本塁打の判定に限っての適用、となったのはうなずける。
もう一つは審判の判定という人間的な要素も、野球の面白みと思ってきたからだ。
審判を怒らせると大変なことになる。
そのことは、一昨年の北京五輪で日本野球が得た大きな教訓だった。国際試合で審判への抗議はご法度といわれる中で、スイングの判定を巡って日本代表の星野仙一監督がキューバ人の主審に猛抗議、退場処分を受けた。これが原因で、確かに日本はその後、審判団にマークされて、対応は非常に厳しいものになった。
だから審判の間違いを黙って受け入れろ、というわけではない。ただ、文句を言いながら、渋々ながらも受け入れる。そういうことも含めた審判の判定も、野球においては一つの面白みなのだと思ってきた。
審判が誤審の可能性を“自首”して成立する制度って?
極論すれば野球とは「世紀の大誤審」で成り立ってきたスポーツであり、それを喧々諤々とファンが論議し、話題にすることで発展してきたエンターテイメントなのである。
だからビデオ判定には積極的に賛成は出来かねる。しかし、導入が決まったことにあえてここで文句を言うつもりはない。一つだけ心配なことがあるだけなのだ。
審判の権威をいかにして守るか。
そのことが心配だ。
実は今回のビデオ判定は、当該試合の責任審判が必要と判断したときのみ、行なわれることになっている。
「判定は絶対で、プレーヤーや監督の抗議によって変わるものではない」
だから審判の判断によってのみ変更が許されるという論理だ。
ただ、これはいわば“自首制度”のようなものなのだ。
「やっちゃいました」もしくは「やっちゃったかもしれません」――審判が誤審の可能性を自ら認め、それを自己申告して、初めてビデオを見ることができる。この“自首システム”だと、審判の判定への信頼性、権威を、著しく貶めることになるのではないかと危惧する。
そうしてフタを開けてみると、セ・リーグの開幕カードが終わった3月28日の時点で、両リーグ合わせて26試合を消化して3度のビデオ判定が行なわれた。
この数字をどうみるか?
「今までも審判はこんなに自信のない判定を繰り返してきていたのか……」
思わず肩を落としたくなる気分だった。