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ラルーサの知性と電撃的引退。
~世界一の名将の頭脳と情~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2011/11/06 08:01

ラルーサの知性と電撃的引退。~世界一の名将の頭脳と情~<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

自身3度目のワールドシリーズ制覇の3日後、引退を発表

革新的な戦術を編み出した「球界最先端の知性」。

 これは一体、と私は首をひねった。ポストシーズン68勝(最終的には70勝)の貫禄か、とも私は思った。そういえば長いな。カーディナルスに来てから16年目、ホワイトソックス時代から数えると33年間の監督生活だ。公式戦2728勝も、コニー・マック(3731勝)、ジョン・マグロー(2763勝)についで史上第3位ではないか……。

 だがまさか、このときすでに彼が引退の決意を固めていたとは知らなかった。私の頭のなかでは、ラルーサはほぼ一貫して「球界最先端の知性」である。ラルーサ・スイッチと呼ばれる継投の妙はいまも健在だし、そもそもアスレティックスの監督時代('86~'95年)、あのデニス・エカーズリーを1イニング限定のクローザーに転向させたのは、ラルーサその人にほかならなかったのだ。いまや常識となった戦術だが、当時はコロンブスの卵ともいうべき革命的な発想だった。

 ラルーサは、その後も前衛のイメージを保ちつづけた。マネーボール(ビリー・ビーンがアスレティックスのGMに就任するのは、ラルーサが去ってからのことだ)に対しては、「私は統計学よりも人間の眼を信じたい」と批判的な立場をとったが、観察と情報解読と危機管理は彼の代名詞だった。

29年間を共にした盟友に告げていた別れの挨拶。

 その一方で、ラルーサには情に厚いところがあった。

 ステロイド疑惑で白い眼を向けられた教え子のマーク・マグワイアを打撃コーチに招いたのもその一例だが、投手コーチのデイヴ・ダンカンなどは、'83年のホワイトソックス時代を皮切りに、29年間もラルーサと行動をともにしているのだ。

 実はこの夏、引退の決意をGMに伝えたあと、ラルーサはダンカンにも辞意をほのめかしている。病身の妻の看護でダンカンが数週間チームを離れることになった際、「最終戦には戻れるかな」とたずねているのだ。

 通常なら、ラルーサはそんなことを訊かない。これはやはり、親しい盟友にひっそり別れを告げたと解釈するのが妥当だろう。そしてたぶんダンカンも、今季限りでカーディナルスを去るはずだ。新聞を読むと、ラルーサは自宅のあるカリフォルニアに戻って「本屋でも開きたい」と語っている。マグローの通算勝利数は抜きたくなかったのか、とたずねた記者の質問に対しては、「それが目的で監督をしてきたわけではない」と答えていた。

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トニー・ラルーサ
セントルイス・カージナルス

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