自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
北区赤羽で昭和の哀愁に萌える。
団地から、日本の未来が見えてきた。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2011/10/28 06:00
故郷である宮崎県日南市の懐かしい団地にて。25年ぶりにわざわざ訪ねたおり、記念に撮影したワンカット
いやーいいね、赤羽。
駅で降りて折りたたみ自転車「BD-1」を組み立てると、駅前の女子高生密度が高い(何でだ?)。みんなヘンに目の縁が黒くて睫毛が長いぞ。一方、オバちゃん密度も高い。女子高生と対照的に佇まいが庶民的というか“昭和のアカバネーゼ”という風情。
駅前のパチンコ屋、ラーメン屋密度が高く、期待に少しも違わず「お客人、どうです、これぞ赤羽っぽい赤羽でしょうが」と街全体で訴えかけている。味わいが深すぎる。
その赤羽駅西口を背にして、右方向に行くと、いきなり急坂が登場するわけだ。コンクリート普請で、滑り止めの丸い穴が穿たれている。
「大坂」っていうんだね。
丸い穴が示す通り、かなり急な坂で、周りを見るとみんな自転車を押している。そこをなにわのど根性で登るのだ。って、それは大阪。ここは大坂。へんが土だ。
付近に小さな坂すなわち「小坂」があるため“大坂・小坂”でここは大坂になったのだそうだ。
その大坂(距離は大したことない)を登りきる。
と、丘の上に出現するのは、ちょっと慄然とするほど懐かしい、昭和ワンダーランドだ。
赤羽台団地という名の、アパート群。いわゆる「団地」である。鉄筋コンクリート5階建てのアパートが整然と並ぶ「昭和の団地」。
同じ形のベランダが並び、そこに洗濯物が干され、上り下りはエレベーターでなく階段。階段の入り口にはステンレス製の郵便受けが並び、町内会の掲示板がある。波形の屋根が特徴的な(なぜいつも波形なんだろう)自転車置き場、芝生、生け垣……。
こうした風景、私ヒキタに言わせると、なんだか涙が出そうに懐かしいよ。
なぜなら、少年時代の私は、まさにこういう団地に住んでいたからだ。宮崎県日南市(もちろんチョー田舎です)唯一の高層アパート群。高層とはいっても、わずか4階なんだけど。
ま、本当のことを言うと「団地」というより「社宅」だったんだけど、構図は同じだ。特にアパートの造りがまったく同じ。あの頃、昭和30年、40年代に全国的にばんばか造られた伝統的なスタイルである。
竣工から約40年経った大規模団地は、今どういう環境なのか?
ここ赤羽台団地は昭和37年に竣工したという。
東京23区では最も古い大規模団地とされる。全部で55棟から構成されていて、合計3373戸が住めるのだそうだ。
こうした古い団地に特徴的なのは、街路樹が気持ちよく生い茂っていることだ。今から半世紀も前には、おそらく若木であったろうケヤキやサクラなどが、堂々たる古木になっている。それらの木々に抱かれた住宅地。きわめて“良い言い方”をすると。
で、こうした団地によくあるように1階は商店街になっている。どこからかAMラジオの音が流れている。大沢悠里の明るくも渋い声が「ペナントレース、中日がまたも足踏みです」などと告げている。どこか物憂げな昼下がりによく似合ってる。