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北区赤羽で昭和の哀愁に萌える。
団地から、日本の未来が見えてきた。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2011/10/28 06:00

北区赤羽で昭和の哀愁に萌える。団地から、日本の未来が見えてきた。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

故郷である宮崎県日南市の懐かしい団地にて。25年ぶりにわざわざ訪ねたおり、記念に撮影したワンカット

シャッター通りとなった赤羽台団地の1階。

 シャッターが多いなぁ。お昼過ぎ、という時間帯は、こんなもんだっけか。おおまかにいって店の3分の2がしまってる。

 でも、ここにはかつて若いお母さんたちが大勢集まり、夕食のメニューを作るために、八百屋さんや魚屋さんや雑貨屋さんをめぐっていたのだ。

 あの頃の喧噪は、もはやない。

 ここにあるのは、ただ木々のざわめきと、カラスやスズメの声と、それ以外。つまり静謐だ。

 そんな中を、落ち葉をかさこそと踏みつつ、自転車の車輪は回っていく。

 この団地には、自転車は多い。

 だが、自転車に「乗っている人」は少ないかもしれない。なぜなら高齢化が進んだ今、丘の上に住むお年寄りにとって、自転車というものは、前カゴに買い物袋を載せて運ぶためのリヤカーの機能の方が大きいからだ。

都内最大規模の団地「桐ヶ丘団地」は年寄りばかりで……。

 赤羽台団地を後にして、ちょっと北西に走ってみると、やがて道がいったん下り、レンガ造りの橋をくぐる。と、おや、またもアパート群だ。ホントに、ほんの少し走っただけなのに、もう次の団地。それも同じ世代くらいの低層鉄筋コンクリート製だ。

 自転車を押しながら、人々が坂道を登っているのも、同じ風景。

 だが、赤羽台とほんの少しだけ違うのが、この団地、行けども行けども団地なことだ。とにかく規模が違う。ただただデカい。そして、古い。

 団地の名前を「桐ヶ丘団地」という。

 もちろん初めて来たし、名前自体を初めて聞いた。駅から随分歩く、ということもさることながら、とにかくデカいんで、団地内にバス停がいくつもある。

 その大きさは「自転車に向いている」かもしれない。が、自転車はそんなに走っていない。歩いてる。その事情は赤羽台と同じだ。

 建物だけじゃない、人間だって古い。

 さっきの赤羽台団地だってそうだったけど、とにかく静謐。お年寄りの姿しか見ないのだ。

 しかも、お婆ちゃんばかり。お爺ちゃんすらほとんどいない。こういうところに平均寿命の男女差が出てくるんだろう。

 そのお婆ちゃんたちが、傾き始めた陽の光の中、静かに大人しく佇み、世間話をしている。

 見上げるとアパートに空室が目立つ。

子供たちの嬌声がすっかり消えてしまった、緑あふれる広い公園。

 遊具があって、砂場がある。

 かつて子供たちが遊び回っていたはずの、こうした児童公園に、今は人っ子一人いない。コンクリートに塗られたペンキがマダラに剥がれ、古びるままになっている。

 でも、私には聞こえるよ。

 この場所で、30年前に、40年前に、少年や少女たちが発していた嬌声が。

 乳歯が抜けて歯抜けになった口を大きく広げて、笑いながら走り回る少年たちの姿が見える。

 その中の一人はおそらく私だったから。

【次ページ】 当時の豊かでモダンな生活とはどういうものだったか?

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