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あの頃、日本は元気だった。
新橋・虎ノ門・浜松町は昭和の香り。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2010/03/19 06:00

あの頃、日本は元気だった。新橋・虎ノ門・浜松町は昭和の香り。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

六本木にはない心の安らぎ。地方出身者が集う街。

 ということで、ラストにはふたたび新橋に舞い戻り、居酒屋「有薫」に行ってみた。ここには全国約700高校の同窓ノートが揃ってるという。私の出身校、宮崎西高校もあった。

 メニューは普通。値段も普通。しかし、懐かしい母校の寄せ書きノートが揃うこの店は、今も大繁盛だ。こんな居酒屋がある街は、新橋しかない。

 ここに集うサラリーマンたちは、かつて高校野球に熱狂し、酔えば故郷の話が止めどもなく出てくる。そういう人たちだったに違いない。そのように「地方から出てきて、東京でサラリーマンをやって」というライフスタイルは、かつてはサラリーマンの大多数であり、その人々が間違いなく戦後ニッポン経済を支えていた。

 それは幸せな昭和だったのかもしれない。でも、現代的でないというのも確かなことだ。新橋に集うサラリーマンたちは、そのあたりの悲哀を噛み締めつつ、しかし、その新橋に限りなく安らぎを感じているのかもしれない。実を言うと私も感じている。

 正直申し上げると、私は赤坂や六本木などで飲むよりも、新橋で飲むことの方がはるかに好きだ。というか、較べものにならないね。新橋に較べると、六本木なんて街は、私に言わせれば下の下である。その街にある歴史が違い、味わいが違い、何よりそこにいることの安らぎと楽しさが違う。

 そういう新橋が、この「オシャレな港区」の中に、ところがどっこい生き残っている、ということこそが、東京の奥深さである。

 積み重なってきた歴史というヤツは、新橋界隈などでこそ、その正体をギラリと見せるのだ。

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