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あの頃、日本は元気だった。
新橋・虎ノ門・浜松町は昭和の香り。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2010/03/19 06:00

あの頃、日本は元気だった。新橋・虎ノ門・浜松町は昭和の香り。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

かつての超高層ビル日本一、「世界貿易センタービル」。

 さて、その浜松町の駅前に聳えるのが、霞ヶ関ビルの次に建ち、京王プラザホテルが三番目に建つまでの、ほんのわずかの間だけ超高層ビル日本一だった、地上40階「世界貿易センタービル」である。

 このビルがまた昭和感丸出しなのだ。一階に入った旅行鞄屋さんとか、眼鏡屋さんとか、蕎麦屋さんとかが、微妙な渋さを醸し出しつつ、平和に軒を並べている。これらの店々が、浜松町駅にあるのもまた渋い話で、要はこの街、かつての国際空港羽田の窓口なわけだ。だから旅行鞄(海外用)、眼鏡(海外で何かあったときのスペア用)、蕎麦(最後の和食)なんてのが並ぶってわけ。昭和の日本人にとって、海外というものは、そういうものだった。私のオヤジも「初めてのアメリカ出張」なんてときに、それはそれは気合いが入り、大騒ぎをしてたものだ。しかしね、それが昭和。それが戦後だ。同じ高層ビルでも六本木ヒルズとの雰囲気の差、安らぎの差は一目瞭然だよ。

東京タワーのある風景――それこそが「昭和」。

 あの頃、日本は希望に満ちていた……、なんて、ありもしない体験がふと思い起こされる。私は昭和41年生まれ。その時代にサラリーマンをやっているには若干若すぎるから。しかしね、日本人たちが世代を問わず「Always三丁目の夕日」に涙したように、ここには戦後ニッポンの原風景があるような気がするのだ。

 ふと振り返ると、そこに佇む東京タワー。まもなくお役御免になる(かもしれない)電波塔だ。おそらくこの地域というのは、みな大なり小なり、この東京タワーの影響下にあるのだろう。

 高度成長というものの象徴、東京タワーのお膝元にあって、街としてのテイストの変化を止めてしまったのが、おそらくこのエリアなのだ。だからして、新橋、虎ノ門、内幸町、御成門、大門、芝公園、浜松町、と、この界隈からはすべて昭和が匂ってくるのである。

 しかもそこにはある種の成功体験がある。だからこそ、新橋、浜松町エリアには、昭和気質のサラリーマンたちが集まる。私は断言するが、この界隈のサラリーマンたちと、NHK「プロジェクトX」のファン層は絶対ドンピシャに一致すると思うぞ。

【次ページ】 六本木にはない心の安らぎ。地方出身者が集う街。

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