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フロンターレ名物部長が語る、
川崎の武器は“郷土愛”。
~バナナと算数ドリルを売る理由~
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph bySports Graphic Number
posted2011/08/02 06:00
『スポーツでこの国を変えるために 僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』 天野春果著 小学館 1400円+税
順風満帆ではなかった地域密着への道のり。
地域密着の道のりは、順風満帆だったわけではない。1997年の立ち上げ当初は親会社・富士通の色が目立ち、天野にも「富士通フロンターレ」と揶揄する市民の声が届いたという。集客もスポンサー獲得もままならない状況が続いた。
だが、'01年のJ2転落をきっかけに武田信平社長のもとで市民クラブ化を一気に進めていく。天野はターゲットを川崎市に絞り、行政を動かすことに精力を注いだ。そして市の協力が突破口となった。
「行政にやってもらうという発想ではなくて、こちらから市にとってのフロンターレの利用価値を提案していきました。例えばウチのクラブを使ってこんなPRができますよ、とか。行政が理解してくれて資本参加してくれたことが非常に大きかったと思っています。ポスター一枚、町に貼るだけで苦労していたのに、それ以降はいろんなことがスムーズに行くようになりましたから」
都会だからこそ大切にすべき『温かさ』というアイデンティティ。
フロンターレのファンクラブは市と地元の各種団体で組織された後援会で運営されている。時とともに、共存共栄の関係性は成熟していった。
市民が先頭に立って22万人もの署名を集め、等々力競技場の全面改修も決定した。このことからも市民の生活とフロンターレは切っても切り離せない関係になったと言える。しかし、天野は「今は発展途上」と言い切る。
「川崎の人口は142万人もいるので、まだまだファンを掘り起こせると思っているんです。それに横浜、東京と近くに競合のクラブがある我々にとっては、アイデンティティの確立が特に必要。僕はフロンターレらしさというのは『温かさ』だと思っている。都会だからこそ逆に、そういうアイデンティティを地域として大切にすべき。これからも『温かい』企画を打ち出していきたいですね」