チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
7年前のユーヴェ対マドリー。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byAFLO
posted2005/03/09 00:00
チェルシー対バルセロナ、そしてユベントス対レアル・マドリーは、ラウンド16(決勝トーナメント1回戦)のセカンドレグの中でも、とりわけ注目される対戦だ。
チェルシー対バルサのファーストレグは1-2。チェルシーに希望が見えるスコアながら、内容を振り返ればチェルシー有利には見えてこない。ドログマが赤紙退場を食い、10人になってからの戦いは仕方がないとしても、それ以前においても、チェルシーに有効な攻め手はほとんど見当たらなかった。セカンドレグのホーム戦で、チェルシーが無理に前に出てゴールを狙いに行くと、バルサにアウェーゴールを許す可能性は高い。僕には、それでもバルサが有利に見えてくる。
予想が難しいのは、ユーヴェ対マドリー(ファーストレグ0-1)だ。こちらは全く互角。強いて言えば、気持ちマドリー有利。
ここは無理に予想をするより、個人的には過去の戦いを振り返りたくなる。一昨年の準決勝(ユーヴェが、アウェー1-2、ホーム3-1で制す)も、忘れがたい試合ながら、もう少し広い視野でチャンピオンズリーグを眺めれば、アムステルダムの「アレーナ」で一戦をまみえた'97〜'98年シーズンの決勝が、サッカーの流れを語る上では重要だ。
その時、挑戦者の立場にいたのはマドリーの方だ。決勝へ3年連続進出したユーヴェに対し、マドリーの方は久方ぶり。顔役だったユーヴェに対し、マドリーは慣れていない集団だった。識者の予想でもユーヴェ有利が6割を占めていた。
時代の主導権を握っていたのもイタリアだった。チャンピオンズリーグの決勝進出は7年連続を数え、UEFAリーグランキングでも1位の座を独走していた。イタリアはその時、欧州の最高峰に君臨していた。プレッシングの流行とリンクしていたことは言うまでもない。イタリア勢と言えばプレッシング。他国はそれに震え上がっていた。
だが、時のユーヴェは、それまでとは異なるスタイルで臨んだ。そのシーズンの途中に、イタリアで突如流行し始めた3バックを採用し「できるだけ高い位置でボールを奪い、相手の守備体系が整わぬ間に攻めきろう」から、引いてゴールにカギを掛けるイタリアの古いスタイル=カテナチオに回帰していた。
プレッシング系で臨んだのは、むしろレアル・マドリーの方だった。布陣は当時4-4-2と記されたが、4分割にしてみれば4-2-3-1で、それがユベントスの3-4-1-2を鮮やかに封じ込める格好になった。布陣の相性の良さで勝った。その時、漠然と抱いた印象が的外れではなかったことは、その後のチャンピオンズリーグの戦いが、証明してくれることになるのだが、面白いのはそのシーズン、マドリーを率いた監督だ。ファビオ・カペッロ。現ユベントスの監督である。
'97〜'98年シーズンの開幕当初に、レアル・マドリーの練習場を訊ねれば、どこかのんびりしていたそれまでとは、明らかに異なるピリピリムードに支配されていた。練習を見学に来たファンが、無駄口を叩けば、コーチがすかさず「静かにしなさい」と、注意に来るほどの異様さだった。原因はハッキリしていた。その真ん中には、イタリア人の強面監督がデンと構えていた。カペッロはシーズンの途中で、マドリードを去り、決勝戦はハインケス監督で戦っている。しかし、カペッロの遺産は、ピッチに反映されていた。とても厳しいサッカーだった。
中心はレドンドで、前線にはモリエンテス、ラウール、ミヤトビッチがいた。豪華といえば豪華な陣容だったが、現在のチームと比べると、少なくともネームバリューという点で見劣りする。それでもマドリーは、チャンピオンズリーグを勝った。いま振り返れば、これ以上はない「好チーム」だった。
当時ユーヴェのシンボルだったジダンが、現在マドリーにいることも感慨を深い。マドリーの入団記者会見でジダンはこういった。「'98年の決勝戦を戦ってみて心が動いた。守備的なイタリアより、攻撃的なスペインでプレーしたくなった」と。
ユベントス対マドリーは、7年前の決勝を振り返ると、いっそう意義深い試合に見える。水曜日の試合が、何年か後に「あの試合は……」と振り返りたくなるような、欧州サッカー史に残る一戦になればしめたもの。それはチェルシー対バルサにも、その他の試合にもすべて当てはまる。その後のきっかけになる試合が、どこかに必ず潜んでいる。チャンピオンズリーグの大きな魅力だ。