北京五輪的日報BACK NUMBER
快挙を呼んだ創意工夫。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2008/08/14 00:00
太田雄貴、男子フルーレ個人銀メダル。13日、日本フェンシング界に、ついに史上初の五輪メダルがもたらされた。
まぎれもない快挙である。フェンシングの本場ヨーロッパでも、快挙として称えられることになるだろう。
フェンシングは、中世の騎士の剣技を原型に、フランスのパリで統一規則が作られて現在のスタイルとなった競技である。つまりはヨーロッパが本場である。だから日本は、国際大会では常に厚い壁に阻まれてきた。
では、北京五輪でついに壁を破ることができた理由はどこにあるのだろうか。
もちろん、太田雄貴その人をまずは称賛しなければならない。太田は、「彼がメダルを獲れなかったらもう二度と日本はメダルを獲れない」とフェンシング関係者が口にしたほどの逸材であり、その才能が開花した結果といえる。
そして開花するにあたっての協会の努力を見過ごすことはできない。
フェンシングは、北京に臨むにあたって異例の長期合宿を行なってきた。日数にしておよそ500日である。
練習の拠点は東京都北区にある国立スポーツ科学センター。協会が借り上げたセンターの近くの部屋で、選ばれた選手たちは、社会人であれば勤め先の了承を得て休職するなどして全国から集い、共同生活を送りながら練習に励んできた。
こうした強化を行なうに至ったきっかけは2000年のシドニー五輪のことだった。
以前、張西厚志専務理事はそのときの状況をこう教えてくれた。
「シドニーのあと、世界と戦えないままでいてはいけない、オリンピックでメダルを取りたいという声が強まりました」
では何が足りないか。強化部門が強豪国との差としてあげたのはコーチングと練習量だった。
'03年秋、コーチとしてウクライナの代表選手として活躍していたオレグ・マツェイチュクを招聘。そして昨年から長期合宿を実施したのである。
経緯を書くのは簡単だが、アマチュア競技団体であるフェンシング協会に潤沢な資金はない。地道に、強化方針と「北京でメダルを取る」という目標を説明して資金を募り、実現にこぎつけた。
昨秋、ロシアで行なわれた世界選手権の女子フルーレ団体銅メダルで一度実を結び、北京でさらに大きな花を咲かせたのだ。
その熱意と創意工夫には拍手を送りたい。
こうした集中強化の方式は、今回、他の競技でも行なわれてきた。前回アテネ五輪に出場できなかった反省から、千葉市内のマンションで一緒に生活を送りながら「800日合宿」を行なってきた新体操団体がそうだ。
新体操団体は21日に始まる。フェンシングに続くことができるだろうか。