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体操女子で43年ぶりのメダル獲得!
世界選手権で開花した鶴見虹子。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKYODO
posted2009/10/25 08:00
今春の全日本選手権における女子個人総合で、池田敬子、小菅麻里、菅原リサに次ぐ史上4人目となる大会4連覇を達成していた鶴見
帰国早々、やや疲れを見せながらも、今も驚きを隠せないかのように言った。
「びっくりしてます」
体操のロンドン世界選手権女子個人総合で銅メダル、種目別の段違い平行棒でも銀メダルを獲得した鶴見虹子である。
女子のメダルは43年ぶり! 世界の壁を乗り越えた理由とは。
日本女子がメダルを獲得したのは、1966年ドルトムント世界選手権の池田敬子(個人総合銅メダル、段違い平行棒銀メダル)と三栗多仁子(同大会にて段違い平行棒銅メダル)以来で43年ぶりのことだ。しかも女子の場合、オリンピックとあわせてもこのふたりしかいなかったというのだから、鶴見のメダル獲得の価値は大きい。
それだけ世界の壁に跳ね返されてきたのが日本女子だったが、鶴見が快挙を成し遂げた理由はどこにあるのか。
その一つとして、まずは鶴見の才能をあげなければいけない。9月に17歳の誕生日を迎えた鶴見は、子どもの頃から将来を嘱望された選手だった。
体操を始めたのは小学校に入学する前のこと。小学生になると、所属していたクラブの中国人のコーチに「この子は才能がある」と見出された。5年生のときに、数々の日本代表選手を輩出してきた名門、塚原体操クラブに加入する。するとここでも、「日本を背負う逸材」と、将来性を高く評価されることになった。
北京五輪での成功体験が鶴見を変えた。
年を経ると、高い評価どおりの活躍を見せ始める。
2006年の全日本選手権では14歳1カ月で初優勝。中学生の優勝は史上4人目のことであった。
2007年には、NHK杯個人総合でも初優勝を遂げ、同年の世界選手権代表に選出される。世界選手権の個人総合では日本勢でただ一人決勝に進み15位。また、団体でも活躍。12年ぶりとなるオリンピックの団体出場権獲得に貢献した。
そして昨年は北京五輪に出場。団体では5位、オリンピック24年ぶり入賞の原動力となり、個人総合では決勝進出を果たす。種目別の平均台でも8位入賞と健闘したが、実はこの北京五輪が、鶴見にとってステップアップの契機となった。
これまで、「体操ニッポン」と呼ばれ、お家芸と言われてはきたものの、男子を指してのことであって、女子はその外に置かれていた。鶴見は以前から悔しさを抱えていたというが、現実は現実として変わりはしなかったし、世界の壁は厚いというのが、女子選手たちにとっての実感としてもあった。
ところが北京五輪で一定以上の成績をあげることができたことが、「女子だってやれるんだ」という思いにつながっていったのだ。