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メダリストのつくりかた。 内村航平/松平健太/太田雄貴の場合。 ~特集『天才男子のつくりかた』~
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byTamon Matsuzono/Takao Fujita
posted2009/12/21 10:30
色紙のサインをめぐる2人のやりとりが、じつに微笑ましい。
「やだあ、なんで周子の名前のほうを大きく書くの。こんなの絶対ヘンだよー。内村家はかかあ天下だって思われるじゃない」
あかるく朗らかな母親と、「よかよか」と大らかな印象の父親。両親の仲が良いことも、子育てにはきっとプラスに働いたのだろう。
日本体操界のエース、内村航平を育てた両親は、ともに元体操の選手だ。雇われコーチの職を辞し、諌早市の郊外に自前の体操クラブを作ったのは和久が31歳のころだった。
「漠然とですが、いつか指導者として強い選手を育てたいと思っていたんです。ただ私も日体大ではレギュラーになれませんでしたから、オリンピックなんて夢のまた夢。とにかく美しい体操を教えたいの一心でした」
借金をして借りた土地に、コンテナを2列ならべて体育館を作った。床にはコンクリートを敷き、屋根はシートでおおっただけ。別にアパートを借りる余裕はなく、一家はコンテナの片隅で寝泊まりしていたという。
「冬は寒いし、ネズミは出るし。水道管の近くにキノコが生えてきたりして。夜は練習用のマットを片付けて、そこに布団を敷いて寝てました。航平は食事が終わると、当たり前のように鉄棒にぶら下がってましたよ」
ごく自然に3歳で航平は体操を始めた。最初は小さなトランポリンから。決して無理強いはせず、いつも楽しく遊ばせた。そんな遊びの延長線上に、周子が力を入れる右脳トレーニングのプログラムもあった。