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<村上春樹ランを語る ライナーノーツ> 「限りなく蛇足に近いインタビュー後記」 

text by

柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

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photograph byNanae Suzuki

posted2011/05/31 06:00

<村上春樹ランを語る ライナーノーツ> 「限りなく蛇足に近いインタビュー後記」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

もし、震災後にインタビューが行なわれたとしたら……。

 原稿を仕上げ、校正のやりとりを終え、最終的な校了の日に東日本大震災が起きた。編集部の涌井くんは校了作業をするため、交通の麻痺した東京の街を、自らの脚で走りながら編集部へ向かったという(詳しくはNumber編集部ブログへ)。

 一時は印刷、配本も危ぶまれたが、インタビュー記事が掲載されたNumber Doは何とか無事に発行されることになった。涌井くんはこういう時期に雑誌を送り出すことに忸怩たる思いをもっていたようだ(編集者としてまっとうな悩みだと思う)。僕も震災をめぐる情況に心が乱れなかったといえば嘘になるが、このインタビューに関しては間違ったメッセージはひとつもないという確信もあった。もちろん、震災の後にインタビューが行なわれたとしたら、違った内容になった可能性はある。だが、大筋のところは変わらないのではないかと思う。

 春樹さんはインタビューの中でこう語っている。

「自分で自分を作っていくしかないんだということに人々がだんだん目覚めてきたんじゃないかと思う。それはまっとうなことなんじゃないかな。それまでは右肩上がりで、日本では役所や会社組織についていけば生き残れるだろうという意識があったけど、今は自分の力で生き残っていくしかない時代になりつつある。走ることが盛り上がっている背景には、そうした考え方の変化もあると思う。そういう動きには僕としては双手をあげて賛成したいですね。僕自身がずっとそういう考え方で生きてきたからね。(中略)走ることで自己を構築するという精神的土壌ができてきたのは素晴らしいことだと思う。大げさに言えば“個人の復興”というか」

自分の身体と向き合い、精神の闇と対峙するための力を身につける。

 3.11以降、世界のありようは変わってしまったのかもしれない。我々ランナーの精神も、時代の価値観も大きく揺さぶられている。心の奥のほうでは「こんなときに走っている場合じゃないだろう」という気分が通奏低音のように鳴っている。

 でも、人間として十全に生きていくためにはフィジカルが大切なことに変わりはない。いや、むしろこんなときだからこそ、自分の身体と向き合い、精神の闇と対峙するための力を身につける必要があるんじゃないかと思う。大昔、走ることは人間にとって文字通り生きることそのものだったはずだ。そして、多くの都市的な病根は、人が走らなくなったことから発している気がしてならない。

 震災直後はマラソン大会も中止が相次ぎ、社会環境的にもランナーにとっては困難な状況が続いてきた。だが2カ月がたち、大会は少しずつ開催されるようになってきている。いいことだと思う。

 個人的には、走れる身体と環境がある限り積極的に走り続けようと思っている。苛酷な現実を突きつけられる中、ダークサイドに陥りがちになる自己を保つには、やはり走る(運動をする)しかないと思うからだ。

【次ページ】 「限りなく蛇足に近いインタビュー後記」の最後に。

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