Column from EnglandBACK NUMBER
“善玉”になったモウリーニョと、“チーム”になったチェルシーの行方
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byAFLO
posted2007/06/29 00:00
「ジョゼ・モウリーニョが善玉になった」
こんなことを書いたら正気を疑われるだろうか。傲慢な態度、使い放題の資金、勝つことだけを命題としたサッカー。さらに付け加えれば、プレミアシップ有数(選手も含めて)の端正なルックスと、批判する人間を口籠らせる実績。絵にかいたような「勝ち組」は、他人の反感を買う要素も100%備えている。チェルシーサポーター以外のファンにとって、“モウリーニョ”という固有名詞は”ヒール(敵役)”と同義だった。
だが'06〜'07シーズンの終盤には、そんなヒールが“善玉”になったのではないかと錯覚を覚える瞬間があった。マンUを倒してトロフィーをとったFAカップ決勝ではない。アウェーでアーセナルと引き分け、プレミアシップをマンUに譲り渡した5月6日の一戦での出来事である。
この試合のチェルシーは、ドログバが故障で欠場したにもかかわらず、タイトルを狙うために勝ち点3をとるしかない状況に立たされていた。しかもプレミアシップを手中にできなければ、モウリーニョの解雇は決定的だとも噂されていた。
ところがハーフタイムの直前にDFのブーラルーズがファウルで一発退場。おまけにジウベウト・シウバにPKも決められ、10人で1点差を追いかける形になってしまう。
しかしチェルシーはそこから執念を見せる。70分にはエシアンのダイビングヘッドで同点に追いつくと、後半にかけて一層攻勢を強めていった。スコアは最終的に1−1で終わるが、最後の10分間などはアーセナルと堂々互角に渡り合い、手に汗握るカウンター合戦まで演じている。
驚異的な粘りを可能にしたものは何か。少なくとも戦術ではない。たしかにモウリーニョはブーラルーズが退場になった後に手を打っているが、劣勢のチェルシーを支えた一番強い要素は、選手たちの「とにかく負けたくない」「なんとしても勝ちたい」という気持ちだった。深読みするならば、選手の間には「プレミアシップのタイトルの望みをつないで、モウリーニョの首をつなげてやりたい」という心理も働いていたのではないだろうか。
事実、試合後には、選手と監督の「絆の強さ」を象徴する場面が訪れている。モウリーニョはピッチを横切ってチェルシーサポーターの前に進み、まず後方の選手を、次には自身を指差し「自分はこいつらと一緒にやっていきたいんだ」といわんばかりにアピールしたのである。その直後にはテリーやランパードが、モウリーニョに抱きついていく。チェルシーファンならずとも、かなり心動かされるシーンだった。
もちろん、モウリーニョは多分にカメラを意識していたはずだし、自分の首を刎ねようとしているアブラモビッチを牽制しようとする狙いもあっただろう。だが、これほど人間臭いモウリーニョは見たことはなかったし、彼の姿は「オーナーの横暴に耐えて懸命にチームを率いた健気な監督=善玉」にさえ映った。
いずれにしてもアーセナル戦は、モウリーニョ率いる今季のチェルシーが、本当の意味で“チーム”になった試合だったといえる。しかもクラブの内紛(モウリーニョがアブラモビッチの不興を買い、監督としての立場が脅かされるようになったこと)が、逆にチームの結束を強めた感は否めない。このような展開は「バイブル(膨大な量のデータを記したノート)を抱えた神の子(モウリーニョ)」も、さすがに計算できなかったのではないか。
チェルシーの内部で起きた変化(チームとしての結束の強化)は、3月、4月とシーズンが深まるにつれて顕著になってきていた。シーズン序盤のチェルシーはチームとして機能せず、ドログバの個人的能力ばかりに頼った攻めが多かったが、終盤戦にかけてはドログバが完全にチームプレイヤーに変身。ゴール前でポストプレイヤー兼つぶれ役に徹し、そこからチャンスを作りだす形を見出していった。
それ以上に注目できるのはメンタル面での変化だ。たとえばチャンピオンズリーグの準決勝、リバプール戦の前には、チームメイトの契約更改が難航していることを憂いたドログバが、次のようなコメントを出している。
「ジョン(テリー)やフランク(ランパード)との契約をまとめるのは、今自分たちにできる一番大事なことだ。これはチャンピオンズリーグで優勝するよりも大事だ。彼らはチェルシーの歴史の一部分になっている。彼らの貢献度はとても大きいし、来シーズン―あるいは将来―彼らがチームからいなくなるという状況は、サポーターにとって受け入れられないと思う。彼らがチームに居続けられるように、チームはあらゆる手を打つべきだ」
これを受けて、今度はテリーがモウリーニョやランパードの擁護に回る。
「ジョゼはすばらしい監督だった。クラブにはジョゼや自分、そしてフランクの契約に関して正しい判断を下してほしい。俺たちはみんなクラブに残りたいと思っているし、そのこともはっきり伝えてある。これはフランクや監督も同じだ。俺たちは堅く結束したファミリーだし、こういう状態を長く維持していきたい。それができれば、これから何年もの間すばらしい結果を残していけるだろう」
サッカーはよく“生き物”だといわれる。一つのゲームの中でも「勢い」や「流れ」は刻々と変化していくし、チームの状況も常に移り変わっていく。その過程においては、「塞翁が丙午」あるいは「雨降って地固まる」といわれるように、不安材料がプラスに作用することも少なくない。アブラモビッチとモウリーニョの対立がチームの結束を強めたチェルシーしかり、ベラミーとリーセのコンビがCLバルサ戦での起爆剤になったリバプールしかり、W杯でいがみ合ったロナウドとルーニーが攻撃を牽引したマンUしかりである。逆にアーセナルは、リュンベリがチームを批判した以外はあまり波風が立たなかったが、ここにきてアンリのバルサ移籍という衝撃的なニュースが飛び込んできた。
しかしチームは“生物(なまもの)”であるがゆえに逃げ足も早い。W杯の影響で移籍市場が静かだった昨シーズンオフと異なり、今夏はすでに続々と新たな移籍話が決まっている。
果たしてチェルシーはどうなるのか。ランパード、ロッベン、シェフチェンコなどには様々なうわさが浮上しては消え、さらにアンリの移籍によって、ドログバのミラン行きやエトーの加入説まで囁かれるようになった。肝心のモウリーニョは、一時ほど去就が騒がれなくなったが、アブラモビッチとの関係は、またぞろ取りざたされることになるはずだ。約1ヶ月後にシーズンが再開するとき、チェルシーはいかなる「チーム」になっているのか。そしてモウリーニョは、どんな「役回り」で舞台に登場するのだろう。