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福原愛 我楽中国式“卓球”生活。 

text by

富坂聰

富坂聰Satoshi Tomisaka

PROFILE

posted2005/08/04 00:00

 厳しさを覚悟して臨んだ最高峰リーグ。転戦を重ねる過酷な日々のなかで、彼女は確かな手ごたえを掴みかけていた。

 今年6月、本格的に中国へと足場を移した福原愛が、その武者修行の場として選んだのは、中国スーパーリーグ全国12チームのなかでも常に優勝争いを宿命付けられた「遼寧本鋼」(以下、「遼寧」)だった。

 エースにはシドニーに続きアテネで金メダルに輝き、これまでに18個の金メダルを獲得した不動の女王・王楠を擁し、中国次代のエースとの呼び声も高い郭躍もいる。チームに合流した福原の順位は上から3番目。強い選手からシングルスの試合が組まれるシステムのなかで、ポジションは微妙だ。

 福原は現在、世界ランクで24位。ダブルス要員であれば、常勝「遼寧」にあっても十分な戦力だ。しかし、彼女のチーム入りが伝わると、中国の卓球ファンからは、「福原を入れるくらいなら、もっと実力的にふさわしい人材がいるはずだ」、「ヨーロッパから選手を招くべきではないか」といった厳しい声が殺到した。なかには、「もし彼女が本当に強くなって、北京でメダルを獲ったとき誰がその責任を取るのだ」といった、日中の政治状況を露骨に反映した抗議も届いたという。福原の挑戦は、微かな逆風のなかスタートしたといってもよいだろう。

 幸い、6月を終えた時点の戦績は「遼寧」の6連勝。7月に入り1敗こそしたものの、ほぼ下馬評どおりの成績で凱旋を果たした。

 次はいよいよファンが首を長くして待つホームゲームに臨むばかりだった。

 8戦目が予定されていた7月6日。私は遼寧省の省都・瀋陽市から鉄道で3時間ほど南西に下った錦州市にいた。

 すでにチーム内で「3番目の戦力」として認められる一方、やはり中国でもアイドル的な人気を獲得しつつある福原が、どんな空気のなかで試合をし、また暮らしているのか。そして中国でどう受け止められているか。実際にこの目で確かめたいと思ったからだ。

 錦州市は人口約300万人、「猛暑も酷寒もない」と地元の案内に謳われる街だが、中国東北部の例に漏れず真冬はマイナス28℃を記録する酷寒の地。そして、夏も厳しい。試合当日のこの日、気温こそ30℃を下回っていたが、熱帯を思わせる湿度と絡み付く熱気で体感はすでに「真夏」そのものだった。

 体育館の中は、エアコンが抑えぎみなのか、観客が増えるにつれ不快感は高まり、選手が練習を終えるころには、観客でぎっしり埋まった館内は耐え難い環境になっていた。

 館内を見回すと、ファンは老人から子供まで実に幅広く、しかも皆大人気ないほど真剣なのだ。試合中、スマッシュが決まれば「好球(ナイスボール)!」、「漂亮(あざやか)!」と野太い声が響く。一本決まる度に、あちこちでジェスチャーを交えた解説も始まる。当然、失敗には容赦がない。チャンスにミスしようものなら、「あ~っ」というため息が、地鳴りのように体育館を揺らす。

 錦州の人々にとって、この日は待ちに待った初めてのホーム試合。観客のボルテージはいやがうえにも高まった。

 試合前の選手紹介。両軍のメンバーが一列に並ぶと、そのなかで福原はひときわ小さく線の細さが目立つ。異様な興奮が体育館に満ちるなかでは、やはり頼りない。また女王・王楠に次ぐ声援を浴びていたが、それも考えようによってはプレッシャーとなるはずだ。

 会場を大きなカメラを担いで走り回っていた地元テレビ局のカメラマンは、注目選手の2番目に福原の名を挙げた。「福原愛?― 大好きだね。だって、見てみろよ。選手の中で断然可愛いじゃないか」と興奮して話した。客席から、「あれが福原愛だ」と指差していた中年の男性に実物を見た感想を尋ねると、「まだ子供じゃないか。あれで戦えるのか?」と掌を天井に向けた。やはり福原について熱心に語っていた老人は、私が質問すると、にわかに表情を曇らせ黙り込むと、「中日友好だからな、仕方ない」と吐き捨て、プイと横を向いてしまった。唯一、プレーについて語ったのは、北京の卓球専門誌の若い女性記者だ。「彼女はとても頑張っているわ。選手としても十分高いレベルにあるわよ」

 全国各地の転戦から1カ月、期待と同時に値踏みするかのような視線が、彼女に向けて集中している。それは傍らで見ている者さえドキドキさせてしまうほど重い。

 さらにこの日、福原は、前回の試合に続きシングルスの出場を告げられていた。腰痛のため戦線を離脱した郭躍に代わり急遽決まったエントリーだった。しかも、出番は初っ端の第1試合である。

 「中国のスーパーリーグではダブルスばっかりだったから、愛はシングルスの戦い方を忘れてしまっている。同じ卓球でもやり方は全然違う。いまやっても勝てませんよ」

 試合前、ホテルで会った父・武彦はこういって頭を抱えていた。

 ネガティブな要素は、数えればキリがなかった。硬さがまだほぐれていない第1試合、卓球台に隠れてしまいそうなほど身をかがめてラケットを構える福原を見ながら、私の頭の中はすでに、敗戦後のエクスキューズが渦巻いていた。

 だが、その心配は試合開始とともに吹き飛んでしまった。

 試合の序盤からしっかり主導権を握った福原は、終始相手を圧倒。終わってみれば、11対2、11対3、11対3のストレート勝ち。例の「サーッ」の掛け声が試合中一度も出なかったほど、一方的な勝利だった。

 これにはさすがに驚かされた。観客も恐らく私と大差ない反応だったはずだ。

 試合の翌日、私は福原に、「勝つとは思っていなかったので本当にビックリした」と正直に告げた。

 すると彼女は、ケロリとしてこう言ってのけた。

 「はい。わたしもビックリしました」

 屈託なく笑っているが、冗談ではない。ちなみに、インタビューして判ったことだが、福原は、どんな質問にも真っ直ぐに回答してくる。カットしたりドライブをかけたりしないのは、むしろ特徴といってもよい。

 「スーパーリーグは、王楠さんが目の前で敗れてしまったり意外なことが結構起きるんです。だから自分が勝ったとしても実力で勝ったとは思わない。またもう一回試合したら勝てるかどうかも分かりません。ただ、相手は緊張するんじゃないかと思いますね。私と対戦する相手は、『日本人には負けられない』というプレッシャーを、すごく強く感じているでしょうから」

 意外であり、また不思議だったのは、福原が自分のことよりも対戦相手にのしかかるプレッシャーを意識していたことだ。言われてみれば確かにそうだが、それは彼女が自分のポジションをある程度、俯瞰しているからこそ生まれる発想だ。余裕から発する視点といってもよい。

 「この1カ月スーパーリーグで試合に出たことで、技術的には鍛えられた部分もあると思います。中国人にしか取れないボールが返せるようになるとか、いろんな回転に慣れるとか。でも、本当に大きく変わったのは技術面よりも精神面の方ですね。精神的に強くなったと思います。それは、試合に限らず日常生活でも。強くなければ中国では生きていけませんから。こっちに来て変ったところ?― 泣かなくなりました、簡単には(笑)。

 初めのうち、日本人と中国人の違いに戸惑って、本当にどうしていいのか分からなくなったこともありました。でも今は、『そういうこともある』で終わりです。試合後のサインにしても、日本では、嫌で嫌で逃げ回っていました。でも、中国ではそういうわけにはいかない。だから、ちゃんと書けるようになりました」

 福原が卓球の練習のため中国を訪れるようになったのは5歳の時からだ。中国人のコーチから中国語で技術を学んだ。しかし、それは閉じられた体育館でのこと。中国を肌で味わうには狭すぎた。スーパーリーグへの参戦で点から面へと接触面を広げ、交わりは濃さを増している。

 前述したように、中国の卓球ファンは熱狂的で手厳しい。これは民族のもつ性格だ。

(以下、Number633号へ)

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