Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
<クロスカントリーの2人のエース> 夏見円&石田正子 「葛藤と一徹」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2009/12/10 10:30
(右)夏見円(左)石田正子
パイオニアであるがゆえの苦難を乗り越えて。
先駆者的存在であるということは、競技者として、安定したルートが定められていなかったことをも意味する。決してクロスカントリーへの認知度が高くない日本の環境では、競技を続けていく場も簡単にはみつからなかった。大学卒業後、北海道内に支援を受ける企業がみつからず、広島の会社に籍を置いたこともある。その会社の方針の変更で退社せざるを得なかったあとも、所属先が決まらない時間が長く続いた。
「ああ、そんなこともありましたね」
と、今はさらりと笑って流す。
ADVERTISEMENT
今年7月に31歳になった。小学2年のとき、地元網走にある少年団でクロスカントリーを始めたから、競技生活は長い。
楽しい時間ばかりではなかったと言う。むしろ、苦しい時間のほうが多かった。
「結果を求めて、日本の選手としてどこまで行けるか考えてやっていましたが、結果も出なかったし」
引退を考えていた時期もある。'06-'07年のシーズンをもってやめようと思っていたのだ。札幌での世界選手権を控えたシーズンである。
「大会に出ても、10番台に入って、まあ頑張ったって感じるくらいで、それより上に行けない。続けても同じなら、自分としてもけじめをつけたいな、と。'07年は地元で世界選手権だったじゃないですか。そんな機会、めったにないし、ここでやめよう、悔いのないようにって臨んだシーズンでした」
その世界選手権が転機となった。
引退を決意していた夏見を開眼させたレース中の駆け引き。
5位入賞という結果もさることながら、大きかったのは、レース中の体験だった。
「あ、こういう位置にいれば、競っている相手も抜ききれなくなるし、後ろにいる選手たちをブロックすることもできる。そういう戦い方というのに、はっと気づいたんです。それまでは、この選手じゃまだなとか、この人いなければ前に出れるのに、と思うことがあっても自分から駆け引きを仕掛けられることには気づきませんでした。戦術というのが分かったんです。自分がしたいレースがどういうものなのか初めて分かったし、やっとクロスカントリーが楽しくなったし、世界と戦える場所に来られた。競技者として、ここでやめるわけにはいかないな、と」
翌'07-'08年シーズンもその感覚は持続した。
「シーズンを通して納得のいく試合ができましたね。今日のコースなら、自分の強みを発揮できるのはここ、自分が何番目にいたらこうすると、展開を考えながらやれました」
そしてワールドカップ表彰台をつかんだのである。