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佐藤勇人 一度は捨てたサッカーだけど。
text by
鈴木英寿Hidetoshi Suzuki
posted2006/11/23 22:43
半年ほど経過した頃だっただろうか。父の愛情に負けてセレクションを前倒ししたことのある大木は、今度は双子の兄弟愛に根負けして、寿人にこう言葉をかけた。
「おい、お兄ちゃんは元気か?― 今度、グラウンドに連れておいで」
こうして勇人は、ジュニアユースに異例の「途中入団」を果たした。このときの大木との再会は、勇人のサッカー人生にとって決定的と言っていいほどの出来事だった。
神奈川県伊勢原市にある私立高校で9年間にわたり教員を務めた経歴を持つ大木は、教育現場を知る叩き上げの指導者だった。中学2年生で第二次成長期を迎えた勇人の資質を見抜き、誰よりも厳しく接してきたのも大木だった。大木の指導方針、否、ジェフ育成部のコーチ陣の理念は一貫していた。
「入ってきた子どもたちは地域のエリートですから、上手い子ほど、叩く。基本はそれでした。阿部勇樹、佐藤ツインズ、山岸智といったOBは、そうやって鍛えられてきた。それに、キチンと靴を揃えろとか、風呂場から上がるときは、後から入る人のことを考えて、きちんと体を拭いてから出なさいとか、教育的指導も怠りませんでした。阿部なんか『いま茶髪にしているのは、厳しかったユース時代の反動です!』って冗談めかして言ってきますよ(笑)」
快活な声で昔話をするときの大木の眼は、眼鏡の奥で、楽しそうにゆらいでいる。
大木自身もまた、佐藤ツインズとともに、ジュニアユースコーチ、ユースコーチ、ユース監督と指導キャリアを積み重ねてきた。当時のジェフでは現役を引退したばかりのピエール・リトバルスキーが指導にあたるなど、クラブは育成部門の強化に本腰を入れていた。大木はトップレベルでプレーしてきた元プロ選手ではなかったが、彼には元教員というバックグラウンドがあったのだ。
「教員時代の9年間は、成功もあり、それ以上にいろんな失敗もあり……サッカーばかりやってきた僕が教師になり、熱血指導をすればするほど、人間のいろんな面が見えてきて。生徒への夜間巡視などを通じて、なおのこと、子供のいろんな面を勉強させられましたね」
元プロという経歴だけではなかなか得られないはずの、教育者としての懐の深さが、勇人に対する包容力を養ったともいえる。