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佐藤勇人 一度は捨てたサッカーだけど。
text by
鈴木英寿Hidetoshi Suzuki
posted2006/11/23 22:43
1997年、勇人は千葉県立船橋古和釜高校へと進学。クラブでもジュニアユースからユースへと昇格する。だが高校2年生にして、すでに夢と現実のギャップを見せ付けられることになる。
1998年8月5日。前年にU― 18代表候補にも選ばれていた早熟の阿部勇樹が、16歳と333日でJリーグデビューを果たす。これは当時のJ最年少出場記録となった。
弟の寿人はJデビューこそ果たさなかったものの、'98年にアジアユースのU― 16日本代表に選出され、以後は'01年のアルゼンチン・ワールドユース出場を始め、各年代で日の丸を背負ってきた。幸福なサッカー小僧そのままにアンダー世代の代表で活躍する寿人が夜帰宅すると、勇人は、弟が身に着けた日の丸のユニフォームを避けるようにして家を出たという。
勇人は「俺は誰にも負けていない」という矜持を胸に秘めていた。
それなのになぜ、俺は選ばれないんだ──。
葛藤は何度もあっただろう。だからこそ、こう考えるに至った。
「サッカーに対して中途半端でいたくない。ハンパな気持ちでやりたくない」
「俺、他にやりたいことがありますから。サッカー、やめますんで」
高校2年の初冬、勇人は大木の前でそう言い切った。
(以下、Number666号へ)