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37歳の挑戦・葛西紀明 「あの悔しさが忘れられない」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byMakoto Hada
posted2009/12/05 08:00
V字ジャンプを独自に改良した「カミカゼ・カサイ」。
'92年、アルベールビル五輪に出場。ノーマルヒル31位、ラージヒル26位と結果を残せずに終わる。
その後、葛西は海外でも大きな注目を集める選手になっていった。スキー板よりも体を前に出す独特の空中姿勢が、他国の選手や観客に大きなインパクトを与えたのだ。ついたニックネームは、「カミカゼ・カサイ」。国際大会では、葛西の名がコールされるとひときわ大きな歓声と拍手が起こるほどだった。
V字ジャンプを習得し、独自に進化させたからこそ、独特のフォームを築き上げることができたのだ。
成績がそれを裏付けている。'92-'93年のシーズンには、ワールドカップで年間総合3位になったのである。20歳にして世界のトップジャンパーの一人になっていた。
'94年のリレハンメル五輪を前にすると、「日本のエースは葛西」と言われるほど存在感を増していた。葛西自身、「いちばん自信をもって臨めたオリンピック」と振り返る大会だったが、いざ大会が始まると、ノーマルヒル5位、ラージヒル14位。ラージヒル団体の銀のみに終わる。
「次こそは絶対金メダルだ」
悔しさを胸に、大会をあとにした。
4人は歓喜の涙を流し、葛西はひとり悔し涙にくれた。
雪辱を果たすべき、'98年の長野五輪が近づいた。ところがアクシデントが襲う。本番をひと月後に控え、足首を痛めたのだ。
オリンピックにはなんとか間に合い、代表に名を連ねたものの、日本は成長著しい船木和喜、原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信と実力者がそろっていた。ノーマルヒル、ラージヒルに出場できるのは各4人。そしてラージヒル団体も4人で行なわれる。それぞれの種目で、一人がはみ出さざるを得ない。
船木、原田、斎藤が3種目ともに出場することが決まり、ノーマルヒルは葛西、ラージヒルは岡部。ラージヒル団体の残り1枠は試合前日に葛西と岡部が3本ずつ飛んで決めることになった。結果は――。
「僕の1勝2敗だったですね。ああ、これはだめだなと思いました」
長野五輪の団体戦といえば、1本目4位からの劇的な逆転劇で今も記憶に残る試合である。葛西もまた、別の意味で、この試合を強く記憶している。
「ラージヒル団体の当日、1本目のときはホテルにいました。自分が出ないのに応援できないなって気持ちが強かったです。2本目になってから、会場に見に行きました」
葛西の目の前で、日本の選手たちが次々に、これ以上は望むべくもないほど鮮やかなジャンプを見せる。最後のジャンパー船木が着地を決めた。日本、優勝。駆け集まる4人の選手やスタッフたちが涙を流して喜ぶ。
その光景を目の当たりにした葛西も涙を流した。それは日本の金メダルへの喜びからではなかった。
「悔しくてたまらなかったんです」
葛西はノーマルヒルのみの出場で長野五輪を終えた。成績は7位だった。
ひときわ大きな悔しさばかりが残った3度目のオリンピック。それをバネに、翌シーズンの'98-'99年には、日本選手シーズン最多となるワールドカップ6勝を記録する。