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37歳の挑戦・葛西紀明 「あの悔しさが忘れられない」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byMakoto Hada
posted2009/12/05 08:00
8月の欧州遠征から帰国して2日後。大倉山ジャンプ台に姿を見せたジャンパーの表情は明るかった。
「だんだんタイミングが合ってきている気持ちがする。このままの調子で行けば、また世界のトップに立てるんじゃないかって思うんですよ」
葛西紀明である。
ワールドカップ優勝は、船木和喜と並び、日本選手ではトップの通算15勝。
世界選手権には9度出場し、獲得したメダルは銀2、銅4。
オリンピックもまた5度の出場を数え、銀メダルを1個獲得している。
37歳になった今も日本代表の中心にある。
30歳が近くなれば引退してもおかしくないジャンプ競技では、異例といってもよい。
他の選手がこんなことを言うのを聞いたことがある。
「葛西さんの練習へ打ち込む姿勢はすごい。みんなが休んでいるのに一人で黙々と走っていることもある。本当にすごいです」
何が葛西を、今なおストイックに、真摯にジャンプへと向かわせるのだろうか。
真っ先にV字ジャンプに取り組んだパイオニア。
葛西は北海道の下川町に生まれた。旭川から40分ほど列車に乗り、降りた駅から車で20分ほど行った雪深い町だ。
町にはジャンプ台と、ジャンプ少年団があった。小学3年のとき、葛西は友達に誘われてジャンプを始めた。
以前、下川町を訪れたとき、葛西のその頃のエピソードを耳にしたことがある。
「小さい頃から本当に練習が好きでね。自分でこれくらいやると決めたら必ずやる子どもだった。驚くほどだったね」
今日の練習への取り組みは、子どもの頃からのものである。
練習熱心が実を結び、葛西は小学生時代から大会で結果を残す。高校に進学すると、1年生にして早くもワールドカップに参戦し、世界選手権代表にも選ばれている。
当時、ジャンプ界には「V字ジャンプ」の旋風が吹き荒れようとしていた。従来、理想とされてきたフォームとはかけ離れた飛び方は、まさに革命であった。あまりにも大きな変化ゆえに、日本のジャンプ界は対応に立ち遅れたが、その中で真っ先にV字ジャンプに取り組んだ先駆的存在となったのも、葛西である。