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『ふたつの東京五輪』 第7回 「日本の威信をかけた戦い(2)」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2009/08/06 11:30

『ふたつの東京五輪』 第7回 「日本の威信をかけた戦い(2)」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

[ 第6回はこちら ]

 東京五輪で、日本は計29個ものメダルを獲得した。予想以上の結果につながったのは、ひとえに自国開催にかける選手団の熱意の成果だと、東京五輪をフリーランスの立場で取材したスポーツカメラマン岸本健は振り返る。
ファインダー越しに見つめた、メダルにかける選手たちの情熱とは──。

 前回はレスリングと柔道についてお話しましたが、両競技と並び日本のお家芸といわれてきた体操もまた、素晴らしい活躍をみせました。つり輪、跳馬、平行棒、個人総合、団体総合で金メダルを獲得したのです。

 体操は採点競技ですから、過去の実績や印象などもかかわってきて、簡単に順位をひっくりかえすわけにはいかない競技です。当時はソ連が強豪として君臨し、日本は追いつき追い抜こうとする状況にありました。そのことを考えても、見事であったといえるでしょう。

 なかでも大活躍だったのが、平行棒、個人総合、団体総合で金メダルを獲得した遠藤幸雄選手です。同郷の先輩、小野喬選手がメルボルン、ローマとソ連の選手にわずかの差で敗れ、惜しくも手に届かずにいた個人総合を制したことは、いつまでも忘れられるべきではありません。明るい性格の一方で整理整頓の神様と言われるくらい几帳面な選手でもありました。

体操界の“神様”。奥さんはのちに参議院議員に。

 その小野喬選手は、日本のエースとして長く活躍した選手です。1952年のヘルシンキから4大会連続でオリンピックに出場し、獲得したメダルは合計で金5、銀4、銅4。全部あわせて13個のメダルは、今日も日本で最多の記録です。また、夏のオリンピックでの4大会連続のメダルも、谷亮子選手に破られるまでは、日本で最多でした。まさに歴史的な選手だといえます。

写真

体操団体の表彰式。表彰台に立った小野喬は1952年のヘルシンキから4大会連続でオリンピックに出場し、日本選手史上最多の13個のメダルを獲得した名選手。

 体操界では神様のような存在でしたが、東京オリンピックでは日本選手団の主将を務め、開会式の選手宣誓を行なっています。

 東京オリンピックのときには腕を痛め、注射を打ちながらの出場で、残念ながら万全の演技は披露できませんでした。しかし、勤務先で一般の社員と同じように働き、出社前と終業後、深夜まで練習に打ち込む日々を知っていました。その努力のさまには頭が下がる思いでした。

 ちなみに小野選手は夫婦そろってのオリンピック出場でした。奥さんは小野清子さんです。小野清子さんも東京の前のローマ・オリンピックに出ていましたが、その後2人は結婚し、東京のときには一男一女のお母さんとしての出場でもありました。のちには参議院議員として活躍されています。

ひねりを加えた「ヤマシタ跳び」で金メダルを獲得。

 体操男子では、山下治広、早田卓次選手の活躍も印象的でした。

 山下選手は跳馬のスペシャリストとして世界でも知られていた選手で、「ヤマシタ跳び」という技で知られていました。この大会ではひねりを加えて技を進化させ、見事、跳馬で金メダルを獲得しています。

 団体、個人総合が終わり、種目別に移ったあと、日本勢はゆか、あん馬と優勝を逃がします。3種目め、つり輪で優勝し、種目別で最初の金メダルを獲得したのは早田選手でした。

【次ページ】 「東洋の魔女」を率いた、情に厚い「鬼の大松」。

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