Number ExBACK NUMBER
井村雅代の新たなる挑戦。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShigeki Yamamoto
posted2008/01/31 15:37
「井村先生はインターナショナルなコーチです。自分たちの国を教えに来てくれても何の不思議もありません」
記者の言葉の底にある意地の悪さは今も鮮明に覚えている。
「何をしても賛成と反対があるけれど、契約してからのことは、そこまで言うか、と感じましたね。でもスポーツの世界でコーチが交流するのは当たり前のこと。自分はそういう道を選んだんだから何言われても言い訳する気もなかったですね」
日本ばかりではない。中国メディアの中にも辛辣な視線があった。
「『あなたはメダルを取れるのか』『世界選手権に行ったらほかの国も指導するのではないか』とか。この人は日本人のことを好きじゃないんだなあ、そういう人もいるんだなあと感じましたね」
日中それぞれから、厳しい眼差しが注がれていたのである。
眼差しを劇的にかえた、世界選手権の結果。
周囲の声はどうあれ、立ち止まるわけにはいかない。当面の目標となるのは'07年3月のメルボルン世界選手権だった。
大会で競う相手だった頃の中国の印象は、「背が高くて手足の長い、柔らかい選手がそろっている。だけどきちんとした技術がない」だった。だが実際に指導を始めると、大きな問題に突き当たった。
「ともかく筋肉がなかった。やりたい練習ができなかった。こうしたらよくなると分かっていてもできない。選手に、どこか故障があるか書かせて提出させたら『腰が痛い』『足が痛い』『手首が痛い』と故障のオンパレード。そりゃ筋肉ないのにやってるから当たり前だよと思いましたね」
しかし大会は間近に迫る。信頼を得るためにも、結果を出さなければならない。大会までの時間を考えれば根本から手をつけては間に合わない。できることだけやろうと考えた。するとチーム、デュエットで4位の結果を得ることが出来た。五輪、世界選手権を通じ中国シンクロ史上最高の成績だった。
「『最後の手の入れ方』というか、うまくうわべを取り繕っていい演技に見せることに成功したということでしょうね。何でもかんでもやって間に合わなければ意味はない。時間を考えて、割り切って、だめだとわかっている部分でも目をつぶらないといけないことがあるんです。でもあれだけの成績をあげていなかったらここに今もいるかはわからなかったでしょうね(笑)」
この結果は、井村への眼差しを劇的にかえた。
(以下、Number696号へ)