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井村雅代の新たなる挑戦。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byShigeki Yamamoto

posted2008/01/31 15:37

井村雅代の新たなる挑戦。<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

 北京駅から車で南へ10分ほど行くと、世界遺産の天壇公園がある。その東側には名前に「体育」の文字の入った店が目立つ。ウェア、シューズその他、スポーツ用品店が並ぶ。

 体育館路と名づけられた通りに入る。「中国国家体育総局訓練局」の看板が見えてくる。中国のナショナルトレーニングセンターである。

 門には武装警官が立っている。門の前に立つだけで鋭い一瞥をくれる。訪中までの長い交渉、それに現場での押し問答の末、ようやく許可が出て門をくぐる。認められるのは中国のメディアでもまれなことだ。

 ここで一人の日本人が生活を送っている。

 「閉鎖的と思うかもわからんけど、おかげで静かに集中して練習できる。だいたい、物事にはいい面と悪い面、両方があるものでしょ」

 その人、シンクロナイズドスイミング中国代表ヘッドコーチの井村雅代は言う。

 敷地内には、大理石で作られた建物が並ぶ。それぞれに、「排球館」「体操館」と競技の名が刻まれている。競技ごとに練習施設があるのだ。立ち入ることが許されたのはごく一部分だが、それでも敷地の広大さがうかがい知れる。

 「すごいねえ。これだけの施設があったら、もっとすごい成績とれるんじゃないかと思うくらい。私の部屋は2LDKで、通訳の人と生活してます。生活に必要な備品はすべてそろっています。食堂は3つ、それぞれ競技別に分かれていて、練習時間にあわせてくれたり、プールサイドまで弁当を持ってきてくれと頼んだり、何でも対応してくれます。料理は中華ばかりですよ。でもおいしいし、地域によっては日本と似たようなものもあるじゃないですか。やっぱり金メダルを量産する施設にいるからいい食べ物が出ますよね」

 日本にいる頃と変わらない、いやそれ以上とも思える快活な口調は、中国での時間の充実ぶりを示しているようだった。

 2004年のアテネ五輪後に退任するまで日本のナショナルチームを率いて27年、五輪出場6回、得たメダルは銀3、銅7。日本のシンクロそのものだったといってよい井村雅代が中国のヘッドコーチに就任したのは'06年12月のことである。'07年3月のメルボルン世界選手権では、中国シンクロ史上最高の4位に躍進させ、いまや中国のスポーツ界から絶大な信頼を得ている。体育総局からタクシーでインタビューの場に予定していた喫茶店まで移動するときにはこんな出来事があった。タクシーの女性ドライバーが、「中国に来てくれたことに感謝しています」と笑顔を向けたのだ。

 だがここまで来るには、日本と中国、それぞれからの厳しい視線をくぐりぬけてこなければならなかった。

 まずは就任の経緯から振り返ってみたい。

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