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武豊 「今のままの顔でまた表紙を飾りたい」
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byAsami Enomoto
posted2009/08/28 19:20
弱冠20歳での渡米。世界レベルでの競馬を戦うために。
1989年、武豊は初めてアメリカへ渡った。当時まだ20歳。競馬レベルという意味では、いまの何倍もアメリカが日本に先行しており、武豊自身も「その差はどこでついたのか」を探りに出たはずだった。しかし、現地メディアの取材に対しては、「学びにきたのではありません。戦いに来ました」と、すでに“日本代表”としての気概を立派に示していた。
こうしたプロ意識は元来、強い。デビュー当時、「目標とする騎手は?」と質問されても、頑として「いません」で通していた。心の中で認める対象はあっても、プロとしてそこを「目標」とは絶対に言わない。そういう気持ちを初めから備えていたことが、武豊の強さの一つと言えるのかもしれない。
振り返ると、あっと言う間の20年だった気がしますね。アメリカとフランスに拠点を移して乗ったこともありましたし、結果的にうまく行ったとは言えない経験もしましたが、「やってよかった」と思えることばかりです。いまでも、チャンスがあれば外国に長期間行って乗りたい気持ちはあります。あの頃できなかったことが、いまならできるという自負がありますからね。体はいまのほうが絶対にいい。大きな怪我をしたことで、体のケアの大切さを知りました。騎手がアスリートとして自分の体の改良を計ることなんて、それまではほとんど顧みられなかったわけですが、いまは後輩たちもみんなそういう意識を持ってやっている。ホント、この20年間で日本の騎手のレベルは大きく上がったと思います。
いまだ完成しない“理想の騎乗”を追い求める武豊。
武豊の目標は、デビューから現在に至るまで、一貫している。それは、「昨日の自分より少しでもうまくなっていたい」――である。
すでに生涯勝利数は、JRA史上断然のトップに立ち、これからの1勝1勝が今後誰の手にも届かないであろう記録として延びて行くというのに、「まだ、完成したと思ったことは一度もない」と、キッパリ言い切る。のちに神話になるであろう男の声を生で聴けるのはまさに僥倖そのものなのかもしれない。
いつまでも現役でいられないことはわかっていますが、いまは騎手をやめる自分が想像できません。競馬は乗っていて本当に楽しいし、いつまでやっても奥が深い。ダービーだって、1回勝てばあまりの達成感にその場で騎手をやめてもいいと思う、なんて話があって、そんなもんなのかなあと思っていたこともありました。でもそれはウソで、勝ってみたら、次の年もまたその気持ちよさを味わいたくなるものだった。4回勝ちましたが、また勝ちたい。ボクは、特に欲が深いのかもしれませんが(笑)。
40歳のときの父の顔を思い出すと、ずいぶんとオッサンくさかった。客観的に見ても、いまのボクの方がだいぶ若いだろうって思うわけですよ。だから父よりはだいぶ長く続けられるのかなって。さっき、デビュー5年目あたりから顔がずっと変わっていないという話をしましたが、これからもそうありたい。50歳になって、今のままの顔でNumberの表紙に使ってもらえたら、最高ですね。