Sports Graphic NumberBACK NUMBER
桜庭和志 「Number Webも10年。うちの長男も10歳(笑)」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2009/08/28 19:20
今回、Number Webがリニューアルしたのを契機に、桜庭選手にNumberとの10年以上に及ぶ関わりと、現在の格闘技界への熱い思いを語っていただいた。
現在の総合格闘技を語るうえで決して無視することのできないアイコンである桜庭和志がNumber誌上に初めて登場したのは、今から約10年前、1999年6月のことだ。時はまだ格闘技ブームの起こる前のPRIDE黎明期。『The Face of』という注目の若手選手をピックアップする1ページの扱いで、桜庭は『プロレス界の救世主』と紹介された。
今でこそ明確な線引きがあるものの、当時のプロレスと総合格闘技は、どこか混沌とした状態にあり、まるで国境に緩衝地帯があるような関係だった。かつて最強を謳ったプロレスという出身母体があったからこそ桜庭というスターは生まれ、光り輝く存在になったわけだが、当の本人にとって『プロレスラー』というキャッチは、実は不本意なものだったという。
――Numberで初めて取材されたときのことって覚えていますか?
「いや~、まったく(苦笑)。ただ、当時は一方的に取材を入れられてしまい断われなかったので、面倒くさかったことは覚えてますよ。練習の休みや昼寝の時間が割かれていましたからね。この後ぐらいにホイス(グレイシー)に勝って、さらに取材が殺到してホント大変でした。スパーリングを撮られるのが、集中できなくてすごいイヤだったし」
――ホイスに勝った後の2000年8月、Numberでは初めての表紙を飾っていただきました。普段とは違う、いかにもプロレスラーといった出で立ちでお願いしたわけですが。
「実はこういう格好したくなかったんですよ。僕は初めのころ確かにプロレスラーという言葉を使いましたが、そこまでごっちゃにされるほど自分はプロレスをやっていたわけじゃないですからね」
プロレスと総合格闘技を同列で語られ混乱した時代。
――たしかに「プロレスラーは、本当は強いんです!」と'97年のUFC-Jで印象的な言葉を放ち、他の人にはない存在感を示しましたが、すでにこの頃、総合格闘技での試合がメインになりつつありましたね。
「だから、今さらプロレスラーと言われてもって……。当時のマスコミは、なぜかプロレスと総合格闘技を同列で語ろうとするんですけど、そんなの無理に決まっているじゃないですか。別物なんだし。マスコミもそれを分かっているのに、僕や読者を混乱させるようなことをごちゃまぜに訊いてきたり……」
――取り巻く環境が未成熟だったというか、時代を感じますね。ただ、桜庭さんのあの一言が、多くの人に幻想を持たせたのも事実。
「プロレスラーは強い、というのは本当に練習している人が強いわけで、中には体を大きくするためにウェイトしかやってない人や、決まり事の練習しかしていない人もいるわけです。僕が言いたかったのは、そんな状況下、真剣勝負でも勝てる練習をしているプロレスラーが強い、と」
――真剣勝負の練習をしていないプロレスラーも総合のリングに上がるようになって……。
「勝てるわけがない。僕の言葉が“すべてのプロレスラーは強い”みたいな解釈になってしまって、当時は参りましたよ(苦笑)」