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我那覇和樹 呼び覚まされた得点本能。
text by
隠岐麻里奈Marina Oki
posted2006/08/31 22:15
「国立競技場のピッチで君が代を歌ったとき、鳥肌が立ちました。沖縄にいたときは、まさか自分があの場所に立てるなんて、思ってもみなかったですから。興奮しましたよ」
我那覇和樹は、サッカー不毛の地と言われた時代の、沖縄県で生まれ育った。無名のサッカー少年だった彼に転機が訪れたのは、宜野湾高校3年生のときである。東福岡、国見など強豪校のスカウティングのため九州の大会に来ていた川崎フロンターレ関係者に見出され、卒業後の1999年、我那覇は沖縄から3人目となるJリーグデビューを果たす。
'04年にはJ2で日本人最多得点の22ゴールをあげ、チームの5年ぶりとなるJ1昇格に貢献。今季も、J1で7月までの16試合で日本人3位の8ゴールをあげるなど活躍を続けてきた。そして8月4日、吉報が舞い込む。新生オシムジャパンの最初の13人のメンバーの一人として、日本代表に選出されたのである。故郷沖縄では、新聞の一面、スポーツ面、社会面を我那覇の記事が埋め尽くした。沖縄から初の代表選手が誕生した瞬間だった。
8月9日。オシムジャパン初陣となったトリニダード・トバゴ戦で、クラブと同じ背番号「9」をつけた我那覇は、田中達也とツートップを組み国立のピッチに立った。17分、先制点は我那覇のプレーから生まれた。中央で楔のパスに体を張った我那覇が相手のファウルを誘い、これが三都主アレサンドロの先制FKへとつながった。
「いかにチームのために体を張れるかを心がけました。ただ、後半、運動量が落ちて相手がボールを支配していた時間帯には、もっと前線でキープして味方を助けたかった」
この日のプレー内容は、我那覇にとって決して満足のいくものではなかった。前半終了間際には、長谷部誠からの鋭い縦パスに反応し、得意の右足でシュートを放ったが、相手DFのスピードあるブロックに阻まれてしまう。66分に佐藤寿人と交代した我那覇のシュートは、この1本にとどまった。
「(シュートシーンは)相手の寄せが思った以上に速かった。もっと、もっとゴールに積極的に絡むプレーが必要だった。悔いですか?― 正直、残っています」
この試合で、我那覇がオシム監督から求められたのは「川崎でのプレーをすること」だったという。オシムが川崎で見た、我那覇の持ち味とは何だったのか。
彼を時に厳しく見守りつつ、才能を開花させた川崎の関塚隆監督は、こう語る。
「我那覇は、足元にボールが入ったときのポストプレー、それからエリア近くで放つシュートの確実性に、長けているものがあると思います」
強靭な身体を活かしたポストプレーは、チームメイトからも「前線で起点になり、つぶれ役になってくれる」と絶対の信頼を得ている。さらに、味方のスペースを生み出す動きや前線からの守備も怠らない。こうしたチームプレーに徹するなかで、天性のゴール感覚が炸裂するのが彼の魅力だ。左右両足からのシュートに加え、今季はヘディングも自分のものにした。好調時の我那覇は、シュートを放つ後ろ姿からゴールが生まれる気配が匂い立つほどである。
我那覇の成長は、スタメンの地位が絶対ではなく、常に競争のなかに身を置かなくてはならない川崎の環境によるところが大きい。また、ジュニーニョのスピードと共存してきたこともプレーの幅を広げることにつながった。オシム監督も、ジェフ千葉を率いて川崎と対戦した際に、「常に相手を困らせる危険な攻撃陣だ」と発言していたほどだ。
トリニダード・トバゴ戦を終えた我那覇は、「Jリーグで結果を残す」と巻き返しを誓い、チームに戻った。8月12日の横浜F・マリノス戦。1点ビハインドで迎えた16分、ジュニーニョのスルーパスに走り込んだ我那覇はパスを受け取ると、GKとの1対1の場面で、落ち着いて得意の右足を振り抜いた。ドイツワールドカップが終わりJリーグが再開してから、4試合連続ノーゴールに終わっていた我那覇にとって、実に2カ月ぶりとなる待望のゴールだった。
「結果を残せなくて迷いがあったときにオシム監督に代表に呼んでもらったことは、自信になりました。きょうのゴールで動き出しやシュートの感覚も思い出せました」
翌日、アジアカップ・イエメン戦に向けて、我那覇は再び代表に招集された。感覚を取り戻した彼は、闘争心に満ち溢れていた。16日の試合で田中達也とコンビを組んだのは巻誠一郎だったが、気落ちすることなく、ライバル意識をむき出しにした。
「巻とは歳も一緒なんです。同じ“ポストプレイヤー”ということで比較されることも多いし、意識しますね。ゴール前の入り方、運動量など見習うべきところは多い。なにより、巻には“頭”がある。だから、彼になくて自分にあるものはなにかって考えたんです」
そして、きっぱりとした口調で言った。
「足元では、負けたくないですね」
イエメン戦の翌日、早朝の新幹線で川崎に戻り、チームに合流した我那覇は、紅白戦でいきなり2得点をあげた。ゴールの感触を体に染みこませ、その感覚を忘れないうちに呼び覚ます本能が彼にはある。キレのある動きを取り戻した我那覇からは、迷いが消えたように見えた。
「代表では速いスピードに必死に食らいついてきたので、チームに戻ったら周囲を落ち着いて見るだけの余裕があった。イエメン戦では出番がなかったけど、合宿では手応えがありました。結果を残せないまま終わってしまったら悔しいし、また呼ばれるように、まずはJリーグで結果を残したい。あっ、それから“沖縄の”っていう枕詞がなくても、名前を知ってもらえるようになりたいですね」