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横浜ベイスターズ「意識の変革」 内川聖一/村田修一 

text by

矢崎良一

矢崎良一Ryoichi Yazaki

PROFILE

photograph byKohei Yauchi

posted2008/11/20 21:37

横浜ベイスターズ「意識の変革」 内川聖一/村田修一<Number Web> photograph by Kohei Yauchi

 二人は揃って相乗効果を口にした。

 前(3番)を打つ内川聖一は、「自分の打率は村田さんのおかげ」と言う。

 「村田さんが後ろにいるから、相手投手は少々ボール球でもいいや、というわけにはいかない。どうしてもストライクゾーンで僕と勝負せざるをえないという状況があります。だから僕は的が絞りやすい。でも、僕が出塁することで、村田さんもホームランを打った時の打点が1から2になるんですから」

 後(4番)を打つ村田修一も認める。

 「内川が走者にいることで、相手投手はセットポジションで球威が落ちるし、ホームランは避けたいからストレートを投げにくい。じゃあ低めの変化球を狙おうか、と。それに1死一、三塁というような場面なら、ヒットを打てなくても外野フライ。内野ゴロの併殺崩れでも、三振さえしなければ1打点は稼げる。こんな簡単なことはないでしょう」

 最下位独走、それも記録的なペースで負け続けた今季の横浜ベイスターズ。二人のタイトルホルダーの存在は、唯一とも言える明るい話題だった。彼らの成績がいかにチーム成績と反比例したものであったのかは、その数字があからさまに示している。

 比較対照できる数値ではないが、内川の打率3割7分8厘はチームの勝率(3割3分8厘)を越え、村田の46本塁打はチームの勝利数(48)に迫る。そして右打者の内川には、高打率を残す打者によくあるボテボテのゴロを足で稼いだヒットは滅多にない。極論すれば、ほぼクリーンヒットだけで右打者史上最高となるハイアベレージを残した。村田もまた、夏場に北京五輪による12試合の欠場を挟みながら、50本に届くかというホームランを打ってきた。

 意外にも、内川は8年目にして初めての規定打席到達だった。この高打率は、今まで積み重ねてきたものが形になったのか、あるいは何かを変えたことで良くなったのか後者の要素が大きいと本人は言う。これまではミートポイントを投手寄りに作って、前でボールを捌こうとしていた。それを今年から、ボールを体の近くまで引き付けて打つというスイングに変えた。詰まったり、変化球でタイミングをズラされても、ヒットゾーンに打球が飛ぶようになった。

 これまでコーチからバッティングフォームの欠点を指摘され、直すように言われても、なかなか素直に聞き入れられなかった。そんな内川を変えたのが「危機感」だった。

 「ルーキーの年から開幕一軍でやらせてもらって、3年目くらいで一軍に定着して、ずっと自分がいちばん歳下だったんです。それでいつまでも俺は若いからという感覚でいたんだけど、自分よりもっと若い吉村(裕基)や石川(雄洋)が活躍するのを見た時、今まで俺は何やってたんだろう?― って。去年の夏、調子が落ちた時に『ファームに行ってこい』と言われたことがあったんです。1カ月半くらいだったかな。今まで怪我で下に行くことはあっても、そういうのは初めてだったから、『今のままのお前では、もうダメなんだよ』と言われているような気がして……。

 それまで自分の中で、頑なに『自分のバッティングはこうだ』という固定観念みたいなものがあって、それを曲げてしまったら、それは自分じゃないと思い込んでいた部分があったんです。もっと柔軟に考えろと言われても、俺は今までこうやって打ってきたんだから、と。でも、なかなか壁を乗り越えられない。毎年、春先にはレギュラー候補として名前が挙がるのに、シーズンが終わると中途半端な成績で終わってしまう。何かを変えなくてはいけない、という気持ちが強くなって。打ち方を変えたのも、それで自分の幅が広がるなら、という気持ちでした」

【次ページ】 打率の浮き沈みを楽しく感じていた。

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